コラム
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コラム
『俵らんど物語』(たわらんどものがたり) 筆:うつみしこう
自由庵憧鶏
じゆうあんしょうけい
Vol.6 TPP-環太平洋戦略的経済連携協定-
Trans-PacificStrategic economic Partnership Agreement(環太平洋戦略的経済連携協定)というのがTPPの正式名称だそうだ。
そのTPPハリケーンが吹き荒れている。
このまちの人たちは、TPPをどう思っているのだろうか、聞いてみた。だいたい次の四つに分けられる。
①みかんは、すでに自由化されているので影響はないのではないか。その自由化後も 大したことはなかったので、今回も同様に心配するには当たらないだろう。
②反対だ。TPPに参加すれば、日本農業は壊滅し、農協の存在も危うくなる。
③TPPは、こわくない。むしろこれを機にアジアの富裕層に向けて、高品質のみかんを 輸出していけばいい。
④よくわからないが、国が何とかしてくれるだろう。
これに、積極的賛成派がいてもいいのだが、わたしが耳にした限りではそれはなかった。きっとTPPは農業者に酷な協定だとおもわれているから、心優しい彼らは気を使って言わないのだろう。
わたしの考えは②の「反対」だが、それぞれにわたしのコメントを記しておきたい。
①に対しては、
おいおいそれはないんじゃないの。グレープフルーツ・レモンから始まってオレンジ・果汁の自由化までの過程で、われわれ百姓がどれほど悲嘆にくれ絶望的になったか。激しい怒りに燃えて反対運動をやったか。東京の日本武道館まで行って、「自由化阻止全国果樹生産者総決起大会」までやった、あの熱い連帯の季節を忘れちゃいけないよ。
自由化決定後は、柑橘産業の縮小が急速に進み、国内柑橘の需要減少が続き、減反してもなお価格低迷に歯止めがかからない状態が続いたよね。後継者もほとんどいなくなって、今じゃ日本農業者の平均年齢は66歳にまでなってしまった。われわれの血と汗と涙の辛酸をなめつくした人生というか歴史を忘れたらいけんぞ。
それからもうひとつ、考えなきゃならないことがある。みかんを買ってもらう国民のフトコロの問題だ。
TPPというのは、いわゆる市場原理主義(新自由主義)に基ずくグローバリズムの極端なというか究極のというか行き着く果ての形だと思うので、これは99パーセントの国民が貧乏になる。これまでグローバリズムは世界中に格差と貧困を作り出してきた。そこから人々のこころに深い底知れぬ怨念も生み出した。グローバリズムは、1パーセントの人にしか、特定の国の特定の権力を持った人にしか富をもたらさないことが誰しもの目に見えてきた。
日本は1980年代まで「一億総中流社会」と言われたほどに国民みんなが豊かだったが、今はどうだろう。2013年の今、自分を中流だと思っている人が果たしてどのくらいいるのか。それがさらにTPPに参加することで、どんどん下流化する。つまり、国民のみかん購買力はどんどん減っていくのだ。
TPPが農業問題だと言うのは、明らかな間違いである。・
こんなことも考えてみよう。TPP参加11ケ国(日本が入れば12ケ国)全部の国が、「輸出」によって国を発展させたいと考えているということだ(「輸入」立国を立ち上げようというところはひとつもない)。そんな関係が果たしてなりたちうるものか。
アメリカのオバマ大統領は2010年の年頭教書演説で、「輸出を2倍にして、リーマンショックで落ち込んだアメリカを立て直す」と言った。そこからTPPの現構想が立ち上がった。2008年のリーマンショックまで、アメリカとその国民は、世界中のモノを借金までしてじゃんじゃん買ってバブルを謳歌していた。今、その力はアメリカにない。かつてのアメリカの役割を果たす役割を担わされるのは、この日本ということになる。アメリカも他の国もみんな日本を当にしている。日本の企業も輸出をしたかったら、新興国に工場を移して、そこから日本に向けて輸出をしなければならない、というまことに変なことになる。
われわれ日本国民の富は根こそぎ収奪されるというのが、わたしのTPP理解だ。こんな協定には参加すべきではない。われわれは世界ともっといい関係を築くことができるはずだ。
②について
日本農業が壊滅するというのは本当だろうか。そもそもの政府(農水省・経産省) が影響試算でそう言っているのだからそうなるのだろう。民主党政権当時の前原外 相も「日本のGDPの第一次産業の割合は1・5%だ。1・5%を守るために98・ 5%が犠牲になっている」と言ったくらいだから、日本に農業はいらないということ だろう。われわれ農民の存立基盤がなくなるのだから、これは反対せざるをえな い。
それから、われわれ農民の砦・農協のことだが、農協もTPPには反対の立場をと っている。「TPP交渉参加断固阻止」というその態度を徹底的に貫いて、反対農民の 先頭に立ち続けてもらいたい。決して条件闘争などやらないでほしい(どうも中央 会の萬歳章会長の態度がおかしいのでこれは言っておく)。利口ぶって条件闘争な どしていると結局その行き着くところは「農協解体」だろう。漏れ聞くところによ ると、アメリカのグローバル多国籍企業は、農協の「共済」事業を非関税障壁とし てやり玉にあげようとしている。小泉郵政改革のあとは「農協」だといっていたの をもう忘れたのだろうか。
③について
わたしは、こういう何事にも前向きで強気で向かっていく人たちこそこの町に必 要だとおもっている。こういう人たちには、今すぐにみかんを輸出していくシステ ムを構築するべく行動を起こしていただきたいと思う。どんな事業でも軌道に乗る までには、5年・10年という歳月がかかるのだから。
別に嫌味や皮肉でもなんでもないが、わたしは中国の富裕層のためにみかんをつ くりたくはないなと正直思う。食べ物というか農業生産物というのは、その国で出 来るものをその国の人たちがたべればいいのではないか。べつに身土不二とか地産 地消などとことさら言わなくても・・・。
④について。
確かに、日本政府がTPP参加を強行すれば、政府は補助金を相当額だすだろう。 WTOのウルグアイラウンド決着のとき、政府は2兆7000億円の補助金をばらま いた。今回はその数倍出すかもしれない。だが、それで終わりだ。われわれの農業 の明日はそれっきり途絶えてしまうだろう。
TPPは新しい形を変えた太平洋戦争だとわたしは思っている。しかも、敗けること が確実な。TPPは俵津の明日も確実に変えるだろう。
悲しいことだが、地球人類70億人すべてが日米欧先進7ヶ国(G7)の生活水準 を享受することはできない。世界はゼロサム・ゲームの中、誰かが大きく獲れば、 残った小をまた後のものが奪い合う文字どうりの弱肉強食・原始の自然状態にあ る。われわれは、狡猾で獰猛な強欲資本主義から、もう少し優しく分け合い、穏や かでゆっくり時間の流れる別な地球システム・人類システムを創ることが可能な筈 だ。
2013・8・6 自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)
Vol.5 農業はバトルである-Agriculture is a battle.-
マムシ捕獲映像です。⚠️危険ですのでくれぐれも真似しないで下さい!
前回、マダニの話をしたが、自然界には他にもいっぱい人間にとっては怖い相手がいる。特にわたしのように農業をやっているものにとっては、それらと遭遇する機会が多い。今回はその話をしよう。
1
まず、マムシ(俵津ではハメという)だ。やっぱり一番怖いのは、これだ。咬まれたら、まかり間違えば死ぬ。どこに潜んでいるかわからない。そして、その容姿がなんとも不気味な色形紋様をしている。
実際にも、咬まれて手当てが遅れて死亡した人がいるという話はきたことがあるし、そこまでいかなくとも何週間も入院していたという人もいる。一人か二人だが、俵津でも毎年ハメにやられたという人が出る。
幸いわたしにはまだそういうことはないが、遭遇は毎年ある。その瞬間には、尻がきゅっとこわばり体に戦慄が走る。しかしここであったが百年目だ、一瞬の躊躇のあと格闘がはじまる。その場で殺らなければ、いつまたこちらがやられるかわからないからだ。若い頃は、驚きと恐怖で右往左往するばかりで何か棒とか石とか探している間に逃げられてしまうということもしばしばであった(ハメには目をそらすと逃げられるという)。今は、草刈り機さえ持っていれば怖いことはない。ハメの胴の真ん中に軽く刃を当てるだけでいい。ぐにゅっと内臓が出て、しばらくは動いているがやがてぐったっりと動かなくなる。草を刈り終わった空から見通しのきくところへ放置していれば、一時間もしないうちにカラスがどこかへ持って行ってくれる。
日中のハメは、ぐにゅぐにゅと丸まっていて、動きも鈍いからその気になればとるのはわりあい簡単。だが、やはり夜行性動物である。日ぐら目、当たりが薄暗くなると、まるで別の動物のごとく動きは敏捷になる。夜の世界では食われる小動物たちの阿鼻叫喚の地獄が展開されているのであろうか。
2
ハメと順位はつけがたいが、目視出来て(気づかない場合もあるが)怖いのはスズメバチ(俵津ではダンゴバチという人が多い)だ。
わたしも被害者だからその怖さはよくわかる。ある時、甘夏畑で大きな巣を見つけ、「これは、今退治しておかないとこれからの農作業(除草・施肥・摘果など)ができなくなる」と思って、ホームセンターでジェット噴射式の(そうあの3メートルくらい飛ぶやつ)殺虫スプレーを2本買ってきて、エエイッとやった。それがアサハカだった。
大量のハチが死にはしたが残ったのが猛然とわたしに襲いかかってきた。猛ダッシュ・無我夢中、自分がこんなに早く走れるとは思ってもみなかったくらいのスピードで逃げたが、所詮ハチにはかなわない。尻に激痛が走った。一瞬意識が朦朧とする。昏倒・動けない。30分ほどでようやく立ち上がれたので、フラフラ運転で診療所へ行き、注射・点滴してもらってからやっと楽になったのだった。
後日譚。この蜂の巣は、何十年もミツバチを飼ってきてハチのことを知り尽くした蜂取りの名人・Iさんに処理してもらった。素手で挑むIさんの神業に唸ってしまいました。
スズメバチで忘れられないことがもう一つある。
40年ほども前のことになるが、遠縁にあたるSさんの災難だ。
「父ちゃんがダンゴバチにさされたあっ。助けてえー」
倉庫で作業をしていたわたしの所へ、Sさんの娘が血相を変え、涙を流して駆け込んできた。わたしはすぐトラックに乗って走ったが、しかしその現場までは農道がない。一キロほどの急坂を駆けにかけてたどり着くと、Sさんが口から泡をふいて倒れている。ぐったりとして動かない。かすかにウーという声を出している。これはおおごとや。車を横付けできないから背中に負ぶって下りるしかない。その頃には、近くで作業していたNさんも駆けつけてくれていたので、二人でSさんを起こして、まず若い私が背負った。重い。死んだ人が重いという話は聞いたことがあるが、これは非力なわたしにはどうにもならない。百メートルも行かないうちに、へたりこんだ。
「よし、わしが代わる」。Nさんが背負ってくれる。Nさんは筋骨隆々、筋金入りだ。根性が違う。軽々とではないにしろ、残り900メートルを一歩一歩着実確実な足取りで休むことなく車まで運びきってくださった。わたし一人だったら、Sさんは死んでいたかもしれない。
診療所へ駆け込み、手当てしてもらって、Sさんはなんとか助かったが、そのあとしばらくは山へ行けるような体には回復しなかった。
あとから聞いたことだが、Sさんは頭・顔・首・肩・背中に27か所も刺された痕があったということだ。
3
俵津のコワイ小動物たちの話はまだまだ続く。今度はカメムシ(俵津の人たちはシャクゼンという)。
これにもわたしは大変な目にあわされた(すみませんね、わたしの話ばかりで)。
ある時、みかん畑の草を刈っていて蔓わらを草刈り機で思いっきり払った時だ。シャクゼン(まるかめむし)が一斉に舞い上がって、何匹かがわたしの顔に向かって飛来してきた。そのうちの一匹がわたしの左目に触れた。数秒後目に激痛が走る。目があかない。唾をつけて目を何度もこすったが、事態は少しも改善しない。
片目でおそるおそる車を運転して家に帰り、大量の水道水で洗浄してやっと目はすこしあくようになったものの、痛みとあのどうにもやるせない不快な気持ちはかわらない。結局、「じっと我慢の子」になって一週間ほど寝込んでしまった。シャクゼンが出す強烈な酸にやられたのだった。
4
今日はこのくらいにしましょうか。
この他にも人間(わたしたち農家)を困らす動物たちはまだまだ沢山いる。例えばヒル(蛭)、例えばアブ(虻)、例えばしろくさ(ウラジロ)の虫(ガの幼虫)、例えばアリ(アリだって咬まれると結構じくじくと痛いものです)。大きいものではイノシシ(山で遭遇したらコワイですよお)。などなど。
まさに農業はバトルである。きっとわたしの体験は俵津の農家みんなの体験でしょう。こうして農家は今日も、雄々しくも、逞しくも山へと出かけるのです。そして俵津人のヒーローストーリーを創るのです。相手の動物たちにも言い分はあるでしょう。農家はそれも承知の上です。
2013・7・15 自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)
Vol.4 マダニ-MADANI-
マダニ、が跳梁跋扈している。
西日本を中心にこれ迄に二十一人の死亡が確認されている。愛媛県でも八幡浜で二人が犠牲になったと聞く。
そのマダニは、実はこの俵津にも、いる。
早速、その被害にあった方たちの話を聞こう。
証言1 65歳・女性
あたし、はじめ、スイカのタネかと思ったの。
風呂に入って足をのばすと、スネの下にスイカのタネがあるじゃない。今年まだスイカを食べてないのに。指でつまんでとろうとするがとれん。おもいきりひっぱるがとれん。これほどひっぱってとれんのは『イボ』だ。イボだと血がいっぱいでるし・・。
風呂からあがって老眼かけてよく見ると、イボではないみたい。力いっぱい、ひっぱった。『とれた!』。台の上におくと、そのタネがゴソゴソうごくじゃない。タネの下に足をいっぱいつけて。『これ何!』。スネを見ると、小さな穴から血がにじんでいる。タネがスネに吸い付いていたのだ。
それからというもの、痛いのとカユイカユイでもう大変。かまれた傷口に何かが残っている。絞り出す。でない。しぼりだす。毎日がそのくりかえし。だんだん傷口が大きくなってきた。
それからあたし・・・スネに傷もつ女になりました。
証言2 71歳・男性
オラは、ももたぶらいうか股くらいうか、この足の付け根のところやられちの。ズボンの裾からはい上がって来たがやろ。さがしまわって、ここが暗うてやおいんで、ダニが食いついてきたんやろうの。
あそこもどっこも、パンパンにはれて、もう痛うて痛うて。
めんどしかったけんど、宇和の病院にかけこんだら院長が『これはマダニです。あなたで、五人目です』言われとや。
メスで切って、マダニを取ってもろうて、やれやれ。それからというもの、うずいてうずいて、山へ行くのも一週間よう行かんかった。
それから一年後、なんと又マダニに股くらをくわれてしもた。またもや宇和の病院にかけこみ、またくらにメスが入ってしもた(笑)。なんたる不覚!。
証言3 75歳・女性
うちはヘソの下のあの所をやられたんよ(ウフッ)。
モンペはいて、長くつ下でぴっしりしめて、手は軍手と手っ甲やって、顔も首ももう完全武装で、どこっちゃはいるとこないけんどな。モンペの尻にでも穴があいちょったんやろか。くっついてはなれんやった。
とうちゃんがなくなってずいぶんたったけど、みかんつくりが好きやけん、軽トラックに乗って山へ行っとったんよ。それを知っているみんなが口をそろえてゆうんよ。
『そりゃ、オスのマダニぞ!』
三人から話を聞いた跡、おらもやられた、わたしもくわれたと何人もの人から報告が有った。かまれた部位は腰・背中・腕・足とさまざまだが、そこらじゅうにマダニはいると思ったほうがいい。よほど気をつけなければならない。
マダニが怖いのは、さまざまな感染症を引き起こすことだ。なかでも、SFTSウイルスによる重症熱性血小板減少症候群がこわい。幸い先の証言者の人たちを襲ったマダニたちはおだやかな俵津の風土ににて凶暴なものではなかったのはよかった。
自然界はすべて人間が征服し尽くしたと思わないほうがいい。まだまだ自然は危険にみちみちている。
2013・6・28自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)
Vol.3 宇都宮 健介くん写真展-KOCHI・MAJI-
おっ、これは・・・(なんだろう)。
海坊主か?それとも、放浪の旅の途中の山頭火?
波止桟橋(と思える)にぬうと立ち上がった異形の人影。衝撃的な構図だ。人物を右に寄せて下から見上げた形にしたのが、人物に対する様々な想像を広げるのに極めて効果的になっている。夕闇せまる海の向こうに、左側のアキを充分残しながらも横一線に、これまたぬうと突き出した岬、あれは根崎(ぼら小屋)だろう。これがまたいいのだ。
左側には暮れなずみさざなみ立つ海と空をほどよく取り入れているので、人物の大きさ不思議さ(面白さといっていいのか)がよくあらわされている。とても印象的な作品だ。タイトルを見ると『名前を付けて下さい』とある。・・・ムム・絶句。
うんうん絶妙だ。
それから、『息吹・新田砂防ダム』という作品がある。
宮崎川上流の新田地区にある砂防ダムの下から撮ったものだろうか。新緑にさわやかな風が流れている。したたる水の音まで聞こえているようだ。
また、『川辺・宮崎川』という作品。
これも同川の今度は下流の桜土手を撮った一枚だ。春の空気が匂いたち、水のぬるんだ質感までがよく出ている。ゆっくりと流れる川、歓喜の歌を歌う桜花がとても豪勢だ。
4月3日、宇都宮 健介くんの写真展(宮本 桂子さんの絵画展との二人展)が、俵津公民館で開かれるというので早速見にいった。
彼の作品には、清新な初々しさと共に何かこう大地に根を張ったというかズンとした内部核の様なものが有る。彼は昔日『愛媛医療福祉専門学校を卒業目前に交通事故に遭遇』し、以後電動車椅子の生活を余儀なくされているが、その独特な視点が、それを生んだに違いない。数限りなく自分の境遇を嘆いた日々もあったであろうが、それを乗り越えた姿が、作品には間違いなくある。
個展は大成功であった。
五日間の開催期間中、延べ600人が訪れたという。主催した『東風真風の会』(坂本 甚松会長)の熱意と、家族や友人たちの力強い支援、それに本人の人なつっこくおおらかな人柄がそうさせたのだろう。
余談になるが、俵津公民館が、このような(住民主導の個展という様な)形で使われたのは初めてではなかろうか。この事にも私は深い感慨を覚えるのである。それこそ東風真風(こちまじ)が旋風のごとくに吹いて、俵津の地に“何かが起こり始めたような”わくわくする気分がわたしの中に沸いてきた。
そして、これから、健介くんにはずっと写真を撮り続けて欲しい。健介くんにしか撮りえない視点で、俵津の人たちの暮らしと表情と、変わりゆくまちと風景を、確かに残してほしい。
また、『作品展』開いて下さい。
*健介くん写真は後日掲載します。
2013・5・1自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)
Vol.2 みんなで歌おう!カラオケの集い!-KARAOKE-
俵津公民館に、カラオケ音響機器が欲しい!
いいマイクで、思いっきり、歌ってみたい!
数年前から、俵津文化協会・カラオケ部会の会員の間にそんな熱い思いが、ふつふつとたぎりはじめていた。それは年毎に渦巻きながらせりあがり、マグマが溜まるように溜まり続けていた。
そして、ついに、それは爆発した。
『よし、やろう!みんなでお金を出し合って、買おう!足りない分は、率直に地域の有志の方達にもお願いしてみよう。そして音響機器が手に入ったら、記念の大会を開こう!』
2012年10月、みんなの募金活動が始まった。
『そげなことやったら、うちらも、文化協会のもんには、こじゃんと楽しましちもろちょるけん、いいよ!』
多くの方たちが私たち(私も文化協会員です)の『夢』に乗ってくださった。
『ああ、この町には、こんなにも温かい人たちがいっぱいいる。』感動がじんじんと胸をつきあげた。
わずか40日あまりで目標額は集まり、私たちは念願の『音響機器』を手にしたのだった。『念ずれば、花ひらく』 ふと、坂村 真民さんの詩句(ことば)が浮んだ。
さあ、今度は記念のカラオケ大会だ!
会の名称は、文化協会員の大会ではなく、広く俵津地区民全体の会にしたかったので、『みんなで歌おう!カラオケの集い!』とした。日程は、みかんの収穫が始まっていたが、『鉄は熱いうちに打たねばならない。』間髪を入れずに、11月23日の勤労感謝の日とした。
急ごしらえではあるが、宇和島の大西舞台照明さんをよび、可能な限りの素敵な公民館舞台を作り上げた。
当日。ホールは、いっぱいの観客で熱気が充満していた。みんなうきうきと楽しげだ。
いよいよ私たちの待ちに待ったカラオケ大会の始まりだ。
オープニング。百紀会(ももきかい)の『三番叟』が門出を祝ってくださる。
トップバッターは、つい先日の4日(2012年11月4日)、宇和文化会館で行われた『NHKのど自慢』に出場して俵津の話題をさらった時の人・三好 モモエさんだ。歌は
『桜みち』若いときから『中村軽音楽』に通って鍛えた声は、衰えをしらない。ハリのあるつややかな歌声が会場いっぱいに響き渡る。音響もいい。新しい機器を手に入れた幸せな実感が、みんなのこころにジワッと広がっていくのがわかる。
つづく人たちもみんな顔を上気させて、楽しそうに幸せそうに歌っていく。
宇都宮 重郎さんが『兄弟船』で登場。バックでは大漁旗が振られ、舞台は最高潮に!
司会者も出演者を引き立て、観客のこころを見事に一つにしていく。見る人も歌う人もみんな気持ち良さそう。
文化協会の初めてのカラオケ大会は大成功だった。カラオケ大会などは、今日日どこでもやっていることだが、音響機器の購入から始める大会はそうザラにあるまい。
私たちには大きな達成感が残った。出場者のみなさん、ありがとうございました。拍手とご声援をいただきました俵津のみなさん、ありがとうございました。これからも、私たちは、この大切な俵津を面白くします。また、やります。
次のスターは、あなたです。
● 俵津文化協会について。
正式名称は、西予市文化協会明浜支部俵津分会。
11クラブ、88人の会員。
俳句・短歌・民謡・詩吟・舞踊・カラオケの部会で活動。
大きな発表の場としては、毎年2月・第二日曜日に開かれる『俵津産業文化祭』があります。今年(2013年)も2月10日にありました。上記のようなカラオケ大会も行い、これも大盛会でした。
俵津分会では、只今会員募集中です。写真や絵画・パッチワーク等何でもかまいません。新しい分野のクラブも是非作って参加してください。いっしょにやりましょう。
2013・4・7
自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)
Vol.1 うきな -UKINA-
これは事件である。近頃にない快挙である。
この俵津に『カラオケ喫茶』ができたのである。
レストランもない。コーヒーショップもない。スナックもない。コンビニもない。ゲームセンターもない。もちろんカラオケボックスもない。ついでに信号(!)もない・・・。何も無い町・俵津についにくつろぎ系の『店』とよべるものが誕生したのである。その日は、2012年10月1日。その名は、『うきな』。
店をつくったのは、中井宇喜一さん(62歳)。『中井鮮魚店』を切り盛りしている社長さんだ。
その開店に当たっての言葉がいい。
『これからの人生を、気心の知れた仲間達と歌を歌って楽しくやれたらと思ってね。はじめは、店ではなくごく内輪の個人が楽しむスペースというかスタジオとして考えていたのですが、どうせならせっかくだから地域の皆にも楽しんでもらえたらと、思い直して、思いきってカラオケ喫茶店にしました。』
利益を出すのは二の次・三の次でいい。とにかくこの何も無い俵津を少しでも楽しい場所にしたいという余裕と人間的豊かさを感じさせる言葉ではないか。
これまで、俵津にこの分野の『店』と呼ばれるものがなかったわけではない。何人かの勇敢なチャレンジャー達が立ち上げてはきたが、どの店もあまり長続きはしなかった。人口1300人位の町では無理があるのかもしれない。
でも、ご主人のこういう考え方なら事情はぐっと変わってくるに違いない。この店の末永きご繁栄を心から祈りたい。
ところで、店名の『うきな』だが、体格が良くて男前でキップいいご主人のこと。さぞかし若い頃は『浮名』を流したことだろう!とおもいきや、これは亡くなられた奥様のお名前と自分のお名前合体させたものだとのこと。ご主人の愛と人情の深さを感じるのである。