平成28年3月18日(金)田中恒利先生顕彰碑除幕式
田中 恒利 先生顕彰碑建立委員会から

 あいにくの悪天候、強風小雨まじりの中、多勢の皆さんに参列頂き無事顕彰碑の除幕式を開催する事が出来ました。古くより公私ともに支えて頂いた方々の見守る中、曳き綱に引かれて現れた顕彰碑。
『雑草』の魂が呼び起こされて野福峠を駆け下りて行くような気がしました。

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除幕!

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乾杯!

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    場所:西予市(旧東宇和郡)明浜町俵津野福峠(県道45号線)外松尾公園内
    (国道56号線宇和町側法華津トンネル手前右折、野福トンネルを出て約3.5km下る)


田中恒利先生顕彰碑除幕式開催のお知らせ‼︎
田中 恒利 先生顕彰碑建立委員会から

 早春の候、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
 田中恒利先生顕彰碑建立につきましては過分なるご寄付、誠に有難うございました。心より厚く御礼申し上げます。おかげさまで先生の顕彰碑がもうすぐ完成の運びとなりました。つきましては、下記日程により極ささやかな式典を開催致しますので、ご多忙中と拝察いたしますが、ご出席頂きますようご案内申し上げます。

 場所:西予市(旧東宇和郡)明浜町俵津野福峠(県道45号線)外松尾公園内
    (国道56号線宇和町側法華津トンネル手前右折、野福トンネルを出て約3.5km下る)

月日:平成28年3月18日(金)
時間 : 午前10時〜11時

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移動した山頭火の句碑

IMG_5071.JPG  故 田中 恒利 元衆議院議員の顕彰碑建立のお知らせ‼︎

田中 恒利 先生顕彰碑建立委員会から

長年にわたり衆議院議員として職責を全し、人々に希望を与え続け、郷土をこよなく愛した、『恒さん』の足跡を記す碑を建立することになりました。

 場所:西予市(旧東宇和郡)明浜町俵津野福峠(県道45号線)外松尾公園内
 日時:平成28年4月1日(誕生日)頃建立予定
 *只今建立に向け準備中です。進捗状況は漸次報告予定です。

 9月7日(月) 現状報告

色々と会議を重ねた結果を報告します。
下記の様になる予定です。(文案他修正有り)
図:クリック拡大

H27年田中 恒利 顕彰碑サイズ.pdf H27年田中恒利顕彰碑碑文配置.pdf


田中恒利 年表
1925(大正14年) 4月1日 俵津村に生まれる。
1936(昭和11年) 一家で宮崎県延岡市へ。
1938(昭和13年) 延岡商業入学。
1943(昭和18年) 同校卒業、宮崎県新田原の陸軍気観測隊入隊。
1945(昭和20年) 敗戦後、俵津へ帰村。
1947(昭和22年) 前年声をあげた新生俵津青年団の二代目団長に。
1948(昭和23年) 東京へ。日本大学(社会学部)入学
1951(昭和26年) 3月同大を卒業し郷里へ。宇和高校教師となる。
1953(昭和28年) 愛媛県農村青壮年会議・事務局長就任。結婚、
            松山へ。愛媛県農協中央会へ。
1969(昭和44年) 日吉の井谷正吉氏の後継者として、第32回衆議
院選挙に日本社会党から立候補 (愛媛第三区)。
            初出馬、初当選を果たす。
            俵津に居を移し、金帰火来の激務の日々を送る。
1972(昭和47年)、(昭和51年)、(昭和54年)の3回の総選挙
            で落選。艱難苦節の8年を送る。 
1980(昭和55年) 第36回総選挙でトップ当選。以後4期連続当選
            初当選以来農政畑を歩き通す。
1989(平成1年)  幸恵夫人急逝(享年60歳)。
1995(平成7年)  内閣委員長として、「海の日」制定に尽力する。
1996(平成8年)  惜しまれつつ、政界引退。
            社団法人日中農林水産交流協会・会長理事に就任
             (~2002年)。以後も日中友好に尽力
2014(平成26年) 1月12日 逝去。 享年88歳

*これでもダメなら平成年号を削除



縦書き

田中恒利先生 顕彰碑建立趣意書

西予市名誉市民の田中恒利先生が平成26年1月12日88歳で逝去されてより2年2ヶ月が過ぎました。
先生は「南予から革新を」、「農民の声が届く農政」を掲げて井谷正吉代議士の後継者として昭和44年(1969年)の衆議院選挙で初当選を果たすも、その後3回の選挙に苦杯をなめ、昭和55年(1980年)の選挙で返り咲き、平成8年(1996年)に政界を引退するまで19年間国会議員として活躍しました。
先生は帰り咲くまでの8年間は、雨の日も風の日も南予の隅々まで廻り、労働者や農漁業者等の汗して働く者の意見を聞きました。その情熱と努力が「恒さんを国会へ送る運動」として実を結び、以後連続4回当選しました。この運動を通して我々は燃え、多くのことを学びました。この運動は皆様の中にも記憶に留まっていることと思います。
国会議員の多くが生活の拠点を東京に移す中、先生は地元を拠点とし、金帰火来の生活を続け、南予の人たちの思いを国会に送り届けたのです。先生には青年団や農協や労組の優れた仲間や友達、それに生まれた郷土への熱い思いがありました。人々の思いを聞きそれを政治に反映させる、政治の原点を実直に守り通しました。
私共は田中先生の足跡を記す碑を建立して、後世に語り継ぎたいと顕彰碑を建立する。
                                           平成28年3月吉日 


 副文(縦書き)

 決意

名も知らぬ雑草にこんなつぶやきを送った
お前のように・・・
 踏まれても うちくだかれても
 頭をもたげるその力を 学びとりたい
お前のように・・・
 美しい花だと言われなくても
 自然の美しさを誰にもおしえる
 名なし草の尊さを身につけたい
お前のように・・・
 根強く、たくましく
 みんなの力をよせ集めて
 南予に革新の固い土壌をつくりたい

以下前回記

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田中恒倒 年表
大正14年(1925年) 4月1日 俵津村に生まれる。
昭和11年(1936年) 一家で宮崎県延岡市へ。
昭和13年(1938年) 延岡商業入学。
昭和18年(1943年) 同校卒業、宮崎県新田原の陸軍気象観測隊入隊。
昭和20年(1945年) 敗戦後、俵津へ帰村。
昭和22年(1947年) 前年呱々の声をあげた新生俵津青年団の二代目団長に。東宇和青年団では社会部長に。
昭和23年(1948年) 東京へ。日本大学(社会学部)入学
昭和26年(1951年) 3月同大を首席で卒業し郷里へ。宇和高校教師となる。
昭和28年(1953年) 愛媛県農村青壮年会議・事務局長就任。この年、川端幸恵さんと結婚(のち、三女をも
             うける)松山へ。(その後曲折あって、愛媛県農協中央会へ)。
昭和44年(1969年) 日吉の井谷正吉氏の後継者として、第32回衆議院選挙に日本社会党から立候補 
             (愛媛第三区)。
             初出馬、初当選を果たす。
             俵津に居を移し、金帰火来の激務の日々をおくることとなる。
昭和47年(1972年) 昭和51年(1976年)、昭和54年(1979年)の3回の総選挙で落選。
             臥薪嘗胆・捲土重来・艱難苦節の8年を送る。 
昭和55年(1980年) 第36回総選挙でトップ当選。以後、昭和58年(1983年)、昭和61年
             (1986年)、平成2年(1990年)、平成5年(1993年)と連続当選。
             初当選以来一貫して農林水産委員会で農政畑を歩き通す。
 平成1年(1989年) 幸恵夫人急逝(享年60歳)。
 平成7年(1995年) 内閣委員長として、「海の日」を制定。
 平成8年(1996年) 惜しまれつつ、政界引退。社団法人日中農林水産交流協会・会長理事に就任
             (~2002年)。以後も日中友好に尽力





田中恒利先生 顕彰碑建立趣意書

西予市名誉市民の田中恒利先生が平成26年1月12日88歳で逝去されてより1年半が過ぎました。
先生は「南予から革新を」、「農民の声が届く農政」を掲げて井谷正吉代議士の後継者として昭和44年(1969年)の衆議院選挙で初当選を果たすも、その後3回の選挙に苦杯をなめ、昭和55年(1980年)の選挙で返り咲き、平成8年(1996年)に政界を引退するまで19年間国会議員として活躍しました。
先生は帰り咲くまでの8年間は、雨の日も風の日も南予の隅々まで廻り、労働者や農漁業者等の汗して働く者の意見を聞きました。その情熱と努力が「田中恒利さんを国会へ送る運動」として実を結び、以後連続4回当選しました。この運動を通して我々は燃え、多くのことを学びました。この運動は皆様の中にも記憶に留まっていることと思います。
国会議員の多くが生活の拠点を東京に移す中、先生は地元を拠点とし、金帰火来の生活を続け、南予の人たちの思いを国会に送り届けたのです。先生には青年団や農協や労組の優れた仲間や友達、それに生まれた郷土への熱い思いがありました。人々の思いを聞きそれを政治に反映させる、政治の原点を実直に守り通しました。
私共は田中先生の足跡を記す碑を建立して、後世に語り継ぎたいと考え委員会を立ち上げ、募金活動を開始する事と致しました。皆様方には私どもの熱意をご賢察戴きまして何とぞご協力を賜りますようよろしくお願いいたします。

平成27年7月吉日


田中恒利先生顕彰碑建立委員会

  会長   篠川一雄
  委員長  坂本甚松
  事務局長 永山福重
  会計   中浦靖二
  幹事   西村仁
  幹事   山下重政
  幹事   宇都宮氏康
  幹事   宇都宮道有
  幹事   酒井宇之吉
  監事   中居義輝
  監事   田中清一
  顧問   中浦久弥


田中恒利先生顕彰碑建立委員会規約
名称
本会は田中恒利先生顕彰碑建立委員会と称する。
事務所
本会の事務所は、第4条第1項第4号の事務局長宅に置く。
目的
本会は、田中恒利先生の顕彰碑を建立することを目的とし、次の業務を行う。
顕彰碑建立事業の計画および実施
第1号の目的を達成するために必要な事業及び調整
役員
本会に次の役員を置く。
会長   1名
委員長  1名
会計   1名
事務局長 1名
監事   2名
幹事   若干名
 2 前項第2号から第6号までの役員は、委員長が委嘱する。
顧問
第5条 本会に顧問を置くことができる。
 2 顧問は委員長の推薦により、委員会が承認した者で、委員長の諮問に応じて会議に出席して発言できる。
役員の任務
 本会の役員の任務は、次のとおりとする。
(1)会長  会務を総理し本会を代表する。
(2)委員長 会長のもと会務を総理し本会を代表する。
会計    会計事務を行う。
事務局長  事務局を総括する。
監事    本会の会務・会計を監査する。
幹事    会務一般について計画・立案する。
会議の招集
 委員会は、委員長が招集する。
役員の任期
本会の役員の任期は。第3条の目的を達成するまでの期間とする。
会計
第9条 本会の会計は次のとおり処理する。
本会の会計年度は、第3条の目的を達成するまでの期間とする。
本会に関する費用は、本会が管理する寄付金で支弁する。
剰余金が生じた場合は、委員会に諮り、使途を決定する。
規約の変更
第10条 本会の規約の変更は、委員会の議決によって行うことができる。
役員の増員
第11条 本会の主旨に賛同する者は、委員会の承認により役員とすることができる。
附則
本会の規約は平成27年7月1日から施行する。