コラム
『俵ランド物語』(たわらんどものがたり)  筆:うつみしこう
                      自由庵憧鶏
                                              じゆうあんしょうけい

Vol.16  『俵津小学校閉校式に行く。』-Go to the closing ceremony of the TAWARAZU elementary school .-

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 3月25日、俵津小学校の閉校式があった。よばれたので行った。「私などが何で?」。校門で会った友人に聞くと、「おまえ、PTAの会長やったことがあるやろ。歴代の会長は全部よんどるちゅうぞ」。すっかり、忘れていた。四月から「明浜小学校」となる完成した統合新校舎を仰ぎ見ながら、会場の体育館へ入った。
 何の感慨も起きない。式は坦々と粛々と進行した。
 俵津小学校の「歴史と思い出」をたどるスライドが映写されはじめた頃からやっとPTAのころのことが思い出されてきた。そういえば、このプロジェクターと映写幕、その時買って学校に寄付したんだった。ああ、そうだそうだ。あの頃は、気の合う素敵な役員仲間に恵まれて、いろいろなことをやった。テレビ愛媛(松山)のスタジオ見学、俵津夏祭りの花火大会、。「わらび座」の公演(「ブナがくれた贈り物」)もこの会場でやった。そして、「制服問題」に取り組んだのだった・・・。
 やがて、思い出は自分の子供の頃へ。といって、勉強した記憶はほとんどなく、やたら遊んでいたということだけ。あの頃(昭和30年前後)は全校で500~600人もの子供がいて、校庭は足の踏み場もないくらい。俵津の人がよく言う「芋のこを洗う」ような状態だった。場所取りのため、朝早くから学校へ行ったものだった。おんぼろ(のように見えた)だったが、あの渡り廊下でつながれた大きな二棟の木造校舎がよかった。明るくモダンな校長室のバルコニー、骸骨の人体模型が怖かった理科室、雨の日の人いきれでむせ返るようなせまい図書室(わたしのお気に入りはベルヌの『宇宙戦争』、ルブランの『快盗ルパン』、江戸川乱歩の『少年探偵団』)、「毎日小学生新聞」が貼られていた階段の踊り場(園山俊二の連載漫画「がんばれゴンベ」を毎週待ち構えて読んだ)。「秘密の花園」のような池のある中庭も思い出す。あれらはとても豊穣な時をすごせた至福の空間だった。

 今の子供たちは、どんな思い出を紡いでいるのだろう。
 統合して明浜の四つの小学校の児童を合わせても100人に満たないという。少しさびしい気もするが、新しい学校で思いっきり遊んでほしいと思う。

 「沿革史」によれば、俵津小学校の歴史は明治六年に始まるそうだが、私の通った木造校舎が現在地に建ったのは昭和十五年。それが壊されて今も統合新校舎のとなりに残っている鉄筋コンクリート校舎が建ったのが昭和四十三年。
 ともあれ、百四十年ほどの歴史を刻んで、俵津小学校はその幕を閉じた。



 一つのメモリアル・タイムが終わった、はずだった。
ところが、それから一週間ほどして届けられた閉校記念誌『あかね雲 桜にはえて』を見て驚いた。私がPTAの会長をしていた頃の校長であった宮本先生が、「制服廃止の始末記」と題して、当時私たちが取り組んだ「制服問題」について書かれていたのだ。これにはまいってしまった。まったく失礼な言い方だが、先生の文章は見事で私はすっかり感動してしまった。そして恐れ入ってしまった。しかしこのような記念誌に書かなくてもいいのにと、つい思ってしまった。違和感をも感じてしまったのだ。
 制服をやめて自由服にしたのは、私一人がやったことではなく、なぜか私が提案するとまるで役員のみんなも以前から考えていたかのように極自然に「やろう」ということになったし、ほんとうに実現したのは私が会長をやめたあとの翌年の役員メンバーの方たちの努力の結果だった。だから、宮本先生のご文章に赤面してしまった。
 今思うに、私はあまり良い会長ではなかった。学校が苦手、勉強が苦手、先生が苦手・・の私は用のある時にしか学校へ顔を出さなかった。クレイマーやモンスターペアレントにはなりたくないし、私のようなのがしょっちゅう顔を出しては、先生方もやりにくいだろうと思ったからだ。
 先生方にはごく普通に子供に接してもらえばいい。ときには体罰だってかまわない。子供が勉強するような方向に持っていかなくてもいい。子供は小学校の間は勉強などしなくていい。遊んで遊んで、友達とふれあい、丈夫な体をつくるだけでいい。遊ぶのに「制服」は、どうにも不自由だ。   そんな考えの私だった。
 校長先生は、私の考え方とは違っていたのだろう。二十年も経ってこのようなことを取り上げられるのはよほどの“何か”あったのかもしれない。すまないことをしたのかな、という思いが頭をよぎった。

 いま、毎日のようにテレビに映っている(入学式などの行事や痛ましい事件などで)全国の子供たちを見ていると、ほとんどすべての学校が自由服(こういう言葉ももうおかしいくらい)になっているようだ。
 ともあれ、忘れられない閉校式の春になった。こんなことも「俵ランド物語」になるのにちがいない。

2015・4・8  自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)


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