コラム
『俵ランド物語』(たわらんどものがたり) 筆:うつみしこう
自由庵憧鶏
じゆうあんしょうけい
Vol.22 『宮崎川ふるさと計画』
-Let’s return to the grace river Miyazaki River!-
俵津のまちづくりにおけるキーパーソンの一人に山下重政氏がいる。彼の家系には、『豊湾小史』という郷土俵津の歴史を書いた本を上梓された元伊予銀行俵津支店長の中村勗氏などがおられるので、活躍の背景には若い頃より自らの内に郷土愛のようなものを醸成していたことがあるのかもしれない。その彼がこの度『宮崎川ふるさと計画』なるまちづくりプランを打ち出した。まず、それを見ていただこう。
宮崎川ふるさと計画
山下重政
1950年ごろ宮崎川には、春になると白魚が遡上していた。白魚は西田組が漁業権を執り、他の者は獲ることができなかったが、子供の私たちは、目を盗んで小石をどかしながら手で獲っていた。その白魚が何時の頃からか、見かけなくなった。その頃と、今は何が変わったのか。
山林が杉ヒノキに植林され、その山も管理されなくなり栄養分が海に流れ無くなったためか。畑も麦芋からミカンに変わり、川の水に変化が出ているのか。以前の消毒はホリドールなどの強毒性のものから現在は弱毒性のものに変わっているのに。生活排水が悪いのか。多門寺川・畑岡川はコンクリート三面張りで雨は一気に流れてしまう。海はどうなっているのか。河口付近のそこには、エスロンパイプ・コンテナーなどが積んでいるのではないか。海岸線も石積みからコンクリで海水の酸素は足りているのか。漁業も海面は、真珠貝養殖単一で海の底はどうなっているのか。近海漁法も、ジャミ引きが主体で問題がないのか。
また、河口付近ではアサリもよく取れていた。今もいるのだろうか。
近辺の白魚の産地岩松川との差はどこにあるのだろうか。
一方、現在の宮崎川には、蛍の里や水仙・桜など四季を楽しませてくれるものもある。これらを生かしながら、これからの子供たちにふるさと宮崎川を提案したい。
1.財産区が進めている広葉樹の植林
2.「宮崎蛍の里チームへの支援
3.水仙ロードの整備
4.桜祭りでの川の桜との連携
5.どんどやきをかわらで(正月行事として子供に川に対する関心と火の怖さを知ってもらう)
6.アサリの種放流
7.立て干網(子供の日に川を仕切り魚を放流し親子で入ってもらう。カキガラの除去が必要)
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西予市の「地域づくり交付金制度」は、第一期の五か年を終え、四月からは新しく第二期が始まる。今回の特徴は、基礎部分の一律交付金を減額し、“手上げ方式”を採用して、意欲のあるところ・構想をもっているところへ配分を重く厚くしようということにある。
わが「俵津スマイルーーいいまちづくり隊」も潤沢な活動資金を得るために新たなプラン作りが喫緊の課題であった。そこで出されたのがこの山下氏の構想である。
さすがである。わたしは感動している。やっと、まちづくりというものを根底から見つめる地に着いた発想が現れた。わたしは全面的に支持する。彼の「計画」が「俵津スマイル」の計画となり、具体的な活動内容が討議され、予算が組まれ、一日でも早く展開されることを願っている。
できたら、氏が新委員長となり、みんなを引っ張っていってもらいたいものである。俵津まちづくりに新次元をもたらしていただきたい。
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川」は、俵津のまちづくりを考える際、極めて重要なポイントになる。それは例えて言えば、自動車産業や住宅産業が広大な裾野をかかえているようなものである(ちょっとオーバーで変か)。「宮崎川」について考えることでわたしたちは、この川と共に暮らしてきた俵津の人たちの歴史を知り、農業や宇和海(法華津湾)で営まれる漁業に思いを致し、環境や教育についてまで思考の幅を広げることになるだろう。言わば総合されたまちづくりというものを考えざるを得なくなるのだ。
実はこのわたしも、このコラムで「宮崎川・花の回廊・散歩道」と題して宮崎川をテーマとしてとりあげたことがある(11回目)。俵津のわたしたちにとってこの川はやはり尽きない魅力の源泉なのである。
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山下氏の提案については何も言うことはないが、氏も指摘しているこの川や海が豊饒さを失った(豊湾ではなくなった)原因について少しだけ考えてみたい。わたしが付けた見当も大体同じだ。というよりもう現在では誰もが認識していることだと思う。
つまり、それはコンクリートの護岸、宮崎川(俵津湾)に注ぎ込む小河川のコンクリート三面張り、新田の砂防ダム、杉ヒノキに偏った山の形態(落葉広葉樹林の減少)、地球温暖化による海水温の上昇、生活排水などが関係しているのだろう。ひょっとしたら、常緑樹のミカンを植えたことも関係しているのかもしれない。
けれども、これだけではそれらがどのように作用してこのようなことになっているのかの理由がわからない。
ここで思い浮かぶのは、「森は海の恋人」という有名なスローガン(キャッチフレーズ)で川の上流の森に落葉広葉樹を植林して、気仙沼湾を見事に蘇らせ、牡蠣養殖の大産地をつくりあげた畠山重篤さんの活動だ。
畠山さんに著書があると聞いて早速宇和の本屋へ行ってみた。『鉄で海がよみがえる』(文春文庫、税抜き495円)というのが一冊だけあった。
読んでみて驚いた。謎が解けたのである。(そして、どうすれば川と海を豊かに復元することができるのかまで教えてもらったのである)。
畠山さんは、ズバリ言う。要するに、現在の海(川)は「鉄不足」なのだ、と。窒素やリンやケイ素などの栄養分は確かに豊富にあるのだが、それらを植物プランクトンや海藻(草)が取り込んで成長するためには、先に微量の鉄分を取り入れておかないと、それらの栄養分を吸収できない構造になっているというのだ。
その鉄もイオン化し(二価鉄)、水に溶けている状態で、植物の細胞膜を通過できるほど小さくなっていないとだめだそうだ。それをするのが、森の落葉樹だというのである。
「森の木の葉が落ちて堆積し、それを土中のバクテリアが分解すると、その過程でフミン酸やフルボ酸という物質ができます。このフミン酸が土の中にある鉄粒子を溶かして鉄イオンにし、フルボ酸と結合するとフルボ酸鉄という安定した物質になる。それが沿岸の植物プランクトンや海藻の生育に重要な働きをしているのです」。
この原理を教えていただいたら、だいたいつぎのような判断はつく。
・海や川の護岸をコンクリートで覆ってしまえば、フルボ酸鉄の流入は遮断されるだろう。
・河川をコンクリート三面張りすれば、フルボ酸鉄を含まない(含む間もない)雨水を一気に海に流し込んでしまうことになってしまう。
・ダムは、フルボ酸鉄を下流域(汽水域)に届ける機能を無くしてしまう。
・生活排水やミカン畑の施肥で確かに窒素やリンなど栄養分は豊富だろう。しかし、これを海や川の生物が利用できないのでは自然はやせ細るばかりだろう。
・常緑針葉樹の杉ヒノキ中心の山の在り方は、確かに問題だ。
・常緑樹のミカンのモノカルチャー地帯になったのも問題があるかもしれない。除草剤で土地を痩せさせてきたのもいけないのかもしれない。
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畠山さんは、このあと上記説を「鉄理論」にした内外の学者や研究者たちの実験や取り組みを直接取材紹介し、全国の海を豊かにする取り組みをしているさまざまな人たちと交流しその活動を活写しておられる。(そして、さらには植物プランクトンに二酸化炭素を固定させて温暖化防止をさせる構想までが語られる。最後には、明治以来の「近代化」とは何かまでをも問おうとするのである)。その行動力には心から敬服する。「森と里山と川と海」を一体として捉えるその視点には目を見張る。
さて、海や川を豊かにするためにどうするか、である。結論を一言でいえば、沈殿させないで、酸化鉄(三価鉄)にさせないで、いかに鉄(フルボ酸鉄・クエン酸鉄)を「海における食物連鎖」の基にある植物プランクトンや海藻に与えるか、である。それができれば、動物プランクトン・ウニ・貝類・稚魚や小魚(イワシ・サバ・アジなど)や大型魚(マグロなど)が自然に増えていくという連鎖循環が生まれる。山下氏やわたしたちが望む白魚やアサリも取れるようになる。
畠山さんは、その具体的方法を「鉄漁礁」の投入や「鉄炭ダンゴ」を作って海に撒くことをはじめいろいろと書いておられる。わたしが面白いと思ったのは「使い捨てカイロ」を利用する方法だ。
尻切れトンボになるが、ここからの話は(長くなるので)実際に本にあたって読んでいただくことにしたい。わたしとしては、「俵津スマイル」が委員全員に買って配ってほしい(50冊くらいか、安いものだ)。
そして、言っておかなければならないのは、この事業を本当にやるのなら、宇和海を囲む狩江・高山・三瓶・八幡浜・玉津・白浦・吉田・宇和島のひとたちにも協力を求めなくてはならないということだ。どの地区も宇和海にそそぐ川を持ち、山を持っているからだ。
そして、どうだろう。畠山さんやこの本に登場する研究者の誰かを講師に招いて講演会(勉強会)をやってみたらと思うのだが。
また、水産試験場や水産関係の学部を持つ大学と連絡を取り、宇和海の実態調査をしてもらったらとも考えるのだが。
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海と山(漁業と農業)が蘇れば、俵津が再び輝く。若者もきっと帰ってくる。昭和40年代までのあの「宇和海銀座」とよばれた夜漁の灯りよ再び、との夢をみたい。山下氏の提言の射程は限りなく広い。そして、遠い。
2016・2・29 自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)
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