コラム
『俵ランド物語』(たわらんどものがたり) 筆:うつみしこう
自由庵憧鶏
じゆうあんしょうけい
Vol.13 『2014・雑感』-Occasional impression 2014-
12月に入ってからというもの、雨や雪ばかり。農家は、みかんの収穫が遅れに遅れて困惑している。気象庁の予報では今年は「暖冬」ということだったが、これはどうしたことだ。思えば今年の夏(8月)も雨ばかりで異常だった。地球温暖化の影響か天気に翻弄される年月が続く。
2014年が暮れようとしている。この一年の俵津の出来事を追いながら、時々の思いを記しておきたい。
■3月29日 俵津区総会 + 区民大会
この日、上記の会が終わった後、今後30年以内に60パーセントの確率でやってくるという「南海トラフ」地震の「津波ハザードマップ」の提示と「津波アニメーション」の上映があった。
ショックだった。それを見る限り、俵津は全滅することが確実だ。どんな手立ても不可能。住民としてはただもうひたすらに山へ向かって逃げるしかない。家や家財道具を救おうなどとはゆめゆめ思わぬことだ、と思い知らされる。
それでも、俵津の人たちは明るいから、「おっちゃ、どげならい」といって笑っている。ハルマゲドンのあと、もう一度リセットする大いなる物語を私たちは始めなければならないのだろうか。
■6月29日 新俵津玉津トンネル開通
待望のトンネルが開通した。大きい、広い、明るい。快適だ。トンネルの長さは697メートルで、旧トンネルを抜けて池の浦・深浦と回るコースよりも千メートルほど短くなっただけだが、精神的な快適感はそれ以上のものがある。宇和島がとても近くなったように感じられる。
旧トンネル(「隧道」といったほうがしっくりくる)が開通した時(昭和24年12月竣工)には、提灯行列が行われ、地区あげて祝ったそうだが、俵津住民のそのときの気もちはわかるような気がする。それまでは、山を越えたり、小大崎の鼻(こおさきのはな)をぐるっと回って池の浦へ出ていたのだから、その便利さたるや、喜びたるや、今日とは比べられないものがあるだろう。今も小大崎には、その時代の道がところどころ残っているが、それは幅1メートルにも満たないような粗末なもの。よくもまあこんな道を、と思うような代物だ。
思えば(野福のトンネルと)二つのトンネルが無ければ、俵津は陸の孤島であったな、ここを世に出すために、古の人たちは苦労しただろうなと感慨ひとしおの一日であった。
この日は県知事はじめ愛媛県選出の国会議員も来俵して盛大な式典がおこなわれた。
これで、3年後の俵津湾岸道路の完成を待てば、立間の国道56号線までのアクセス道路が完全に二車線化する。やっと、やっと、という感じだ。
せめてこれが、1980年代までの経済成長期にできていたら、というのは願い過ぎというものであろうか。
■9月21日 俵津町民運動会
今年の運動会は、例年の会場である俵津小学校グランドが、明浜統合新校舎建設中のため使用できないので、明浜中学校グランド(町民グランド)で行われた。
ここはちょっと広すぎてどうも勝手が違った。人口が減り、高齢化がすすんで、見物客も少なくなってきているので、一体感のようなものを醸成するには無理があるのを感じた。
また、広すぎるせいか音響なども聞こえにくかった。
ゲーム内容も、マンネリ化と言ったら叱られるかもしれないが、いまひとつ盛り上がりに欠けた。新しく取り入れた区対抗種目も退屈で面白くなかった。
進行が、全体に緩慢過ぎて、緊張感がなく、だらだらとした感じでつまらない、楽しくないという感じが募った(わたしが年を取ったせいだろうか)。
午後からの3時間。地区民の絆を強める大切な運動会。もっとドラマチックで躍動する運動会を創り上げたいものだ。
来年も、現校舎の解体工事があるだろうから、ここでの開催におそらくなるだろう。いまからこころしておきたい。
■12月21日 衆議院議員総選挙投票日
ふってわいたような突然の総選挙。大方の予想どうり、自・公の圧勝、というより完全制覇であった。暗澹たる気持ちになった
地方に生きる者の投票行動として、政権党とその候補者に入れるのは、おおむね正しい。地方が良くなるためには、政権党(政府)と直接の太いパイプが必要だ(とみんな思っているから)。身もふたもない言い方だが、権力にすり寄らなければ、甘い汁は吸えないから。
俵津と俵津人は、戦後ずっとそうして自民党に入れてきた(田中恒利さんが出ていた時期を除いて)。もちろん、それでよかった(ということにしよう)。
しかし、これから、はたして、自民党に入れ続けることが、地方を豊かにすることにつながるのか、こころから疑問を感じるようになった(自分がいることを否定できなくなった)。
今の自民党(政府)は、こんな風だ。
●財政が破たん寸前というか、使える枠が減少しているので国民の誰しも、すり寄ってくる誰しもをすべて喜ばせることができないでいる。
●アメリカと一緒に世界中どこへでも出かけて行って戦争できる国にしようとしている。
●その危険性が白日の下にさらされてもなお「原発」を再稼働させようとしている。輸出さへしようとしている。
●TPPに加盟して、農業と農民を、ひいては国民を塗炭の惨苦に陥れようとしている。国富をアメリカにさしだそうとしている。
●農協を解体し、農地法を改悪して、グローバル多国籍企業に農民(組合員)のお金と土地をわたそうとしている。
●表現の自由、報道の自由を奪い、公務員・マスコミをはじめ国民を委縮させている。
●中国・韓国・北朝鮮・ロシアなど近隣の国と仲良くすることができない外交下手で、危機を拡大している。
●大企業ばかりに目を向けた政策をとり、そこからのトリクルダウン(おこぼれ)はもうないのに、大多数の中小企業・国民に(したがって地方に)目をそそがない。
●「地方創生」といいながら、東京一極集中を推し進め、地方には「支配の効率化」の観点からしか目を向けない。
●国民の格差を拡大させ、身分(階層)を固定化させている。
こうしてるる述べても、何事にも自分が「最高責任者」(これって将軍、皇帝?ってこと!)だと思っている安倍首相には、「そんなことはない、見解の相違だ」といって一蹴されるだろうが。でも、こんなふうで本当に私たちの「地方」はよくなるのだろうか。自民党とその候補者に一票を入れ続けることで、私たちに本当に「豊かな明日」がやってくるのだろうか。
それから、私たちの投票行動を決める最重点政策が「景気」であってよいのだろうか。キレイごとを言うつもりはないのだが、しかし、バブルが崩壊して、(つまり、日本の経済成長が終焉して、なおかつ景気、景気と言い続けてきて)現在までの20数年間いっこうに景気は良くならない中、私たちはもうじゅうぶんわかってしまっているのではないだろうか。もうかつてのような好景気・経済成長はこの国にやってこない、ということを。これまでとはちがう「この国のかたち」を求めていかなければならないことを。東日本大震災と福島第一原発事故はそのことを私たちに決定的にわからせてくれたはずだった。
それなのに、私たちは変われない。変われない私たちっていったい何者なのか。
まだ間に合う。今なら変われる。今なら変われるのに、わたしたちは昔のまんまの「こころの構造」しか持っていない。
暮れの忙しい時期に選挙をやったこと。争点を「アベノミクス この道しかない」という一点に絞ったこと(これほど争点に満ち満ちた選挙はないのに)。安倍首相と自・公の戦略は見事というしかない。批難してどうなるものでもない。それで当然なのだ。武器は持たなくてもこれは権力闘争なのだから。テレビで、大河ドラマを見るように事態はあからさまにみえているのに、私たちは臆病になっている。それだけこの現実がきびしく、将来が不安なのだ。
誤解されては困るのだが、わたしはどこかの政党・政派のプロパガンダをやっているのではない。わたしは「支持政党なし」の無党派だから、どこに、誰に、入れていいのか、迷いに迷う浮き草だ。どこかに根を下ろしたいとも思っている。この時代の投票行動の「最適解」を求め続けてもいる。わたしは、そういう一人の民衆だ。そういうひとりの百姓だ。
2015年は、私たちの「選択」に対して、答えがあからさまに出る年になるだろう。
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工事中の小学校の統合新校舎の赤い屋根のとんがり帽子が姿をあらわした。新しい年は間もなくだ。
2014・12・30 自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)
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