コラム
『俵ランド物語』(たわらんどものがたり)  筆:うつみしこう
                      自由庵憧鶏
                                              じゆうあんしょうけい

Vol.24 『山』をどうする?!
-The future of citrus farmers !-


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友あり
遠方より来る
また楽しからずや


 一年ほど前の12月だったか、高知の友人がワインをさげてやって来た。俵津の親戚農家のみかん取りの手伝いに来たのだと言う。
 開口一番、「俵津の山が荒れとる。風景を乱してはいけん。何とかせんか」ときた。え?・・・ぽかんとしているわたしに、「手伝えることがあったら、何でもする。人生、もう一花咲かそうぜ」。
 いやはや、その熱いこと。「老人」にカウントされる年齢を過ぎて、これほどのパッションを持っている人間を見るのは驚きの一言。
 そういわれてもなあ・・・。自分の暮らしがやっとのわたしには、二の句がつげない。

 確かに、もう何年も(いや何十年か)前からカズラに覆われた放任園が多くなって、俵津のみかん山に八幡浜の日の丸地区のような整然とした景観はない。農家の高齢化もすすんでリタイアする農家も多く、昭和40年代ころまでは300軒を超えていた農家戸数も100軒ちょっとになってしまった。この戸数で300ヘクタールほどもある俵津の農地を全部維持するのは土台無理な話。若い後継者もほんの一握りだ。
 うちつづくみかん価格の低迷で農家の意欲も喪失ぎみ。農協=共選(明浜柑橘共同選果場)にも一時の力がない。組合員の結束力も弱体化している。わたしなどは40年ほど前から新しい夢と世界を見たくて「無茶々園」に参加したが、現在共選でも農家の共選離れはひどいらしく、集荷量が激減しているという。宇和島や八幡浜市場への個人出荷量が増え、インターネットを活用した販売など、多様な個人の販売活動が展開されている。
 こんな情況の中で、「一体どうすりゃいいんや ?」。・・・  
 友人にも明快(明解)な答えはない。とうとうワインが一本あいてしまっていた。

結局、友の熱情だけが伝播して、わたしは考え続けることになる(考えるだけだが)。いくら考えてもわたしなどにいい知恵がでるはずもないが、それでも何とか一年かけてたどり着いたのは、次のようなことだ。



1、リーダーを得る

地域農業を再生させ、山を荒らさないようにするためには、やはり、リーダー=中心になる人物が必要だ。
それは誰か。わたしは「共選長」、だと思う。従来、共選長は、農家から選ばれてきたが、これを農家ではなく外から選び、10年~20年単位でやっていただく。やはり、商売というのは「人間関係」というのが大事で、市場関係者との信頼関係を構築できないまま2~3年で次から次と交代していく今のようなやり方をつづけていては、まともな産地形成はできないだろう。わたしたちはこれまでおそろしく戦略性を欠いた共選運営をしてきたことになる。
また、農家では、たとえその人が人材的に優れていたとしても、自分のみかん山を持っている以上専心できない。人を雇って家の農作業を任せ共選の販売事業に専念せよ、という意味で給料が支払われていてもそれは建前で、実際にはそうなっていない。彼と同等の栽培技術をもった人の年間雇用などもできるはずはない。従って、当然彼の山は荒れる。だからこれは共選にとって大きな損失。
やはり、販売に専心できる人、地域農業の再構築に目を注げる人を雇い入れる必要がある。俵津にいなければ、西予市や宇和島・八幡浜等から、いや、なんだったら全国公募してもいい。
別に、馬路村の東谷さんや大山町のかつての大田組合長のようなスーパースターはいらない。みんなの話を聞いて、みんなを結びつける、粘り強い、フットワークの軽い、熱い人であればいい。
共選・農協・農家は、その人に1000万円くらいは用意すべきだろう(給料・交際費・交通費・諸工作費等の合計)。年中全国を歩き回っていただこう。さまざまな領域の人に会っていただこう。
住宅も、俵津で提供しよう。地域もその人を盛り上げよう。俵津の悪いところは「人の足を引っ張る」ところだと前から言われている。ここらで自省して改めよう。そんなでは、わたしたちは遠く迄行けない。


この新しい専従の共選長を雇い入れるということは、間もなくある春の「総会」で決議すればできることである。俵津(明浜)の農家が認識を改め覚悟を決めればできることである。とにかく事態を動かさなければならない。

2、「共選」への再結集

 現在、俵津の農家は「自由」を謳歌しているのかもしれない。自分でみかんを売る楽しみを覚えて、しかも実入りがいいので心弾ませている時期かもしれない。共選を離脱したり、共選に荷物(みかん)を集めない農家が激増しているということは、そういうことではないか。
 とてもいいことではある。評価をしていいことでもある。これまで、百姓はお上や農協の言うがままになっていた。やっと意識の面でも行動の面でも、そこから自由になった、ということだからである。わたしには農家の気持ちがとてもよくわかる。40年前のわたしがそうだったから。その頃、わたしは息苦しくてたまらなかった。ここ(農協や共選)ではやっていけないと思っていた。ここにいたら自分が死んでしまうとまで思い詰めていた。・・・

 だが、そうは言っても、はたしていつまで続くか。みんな年を取る。やがて自家の大量の生産物(みかん)を遠い市場まで運び続けることができなくなる日も来るだろう。日本全体の農家の平均年齢は68歳だという。俵津(明浜)はどうだろう。40歳代以下は数えるほどしかいない現状では、先はそう長くないのではないか。やがてまた「共選」の価値=意味が切羽詰まった必要性と共にせり上がってくるのではないか。
 それを見越せば、いま各々の農家が体験体得しているノウハウを共選運営の新方式として採用し、丸ごと共選を変えてしまうことに力を注いでおくことも無駄ではないだろう。今のプロセスを肯定的に捉え、共選も農家も脱皮するのだ。より自由になるのだ。
 共選にしか出荷していない中堅の優秀な農家もまだ数人はいるのはとても心強い。コアな彼らにこそいま発言してほしい。共選再生の大胆なプランを高らかに提示していただきたい。わたしがとても不満なのは、この人たちの存在感がない、発信力が弱いということだ。彼らは「生産」に関しては、極めて高度な栽培技術を持っている。仕事もよくする。けれども、「販売」や「組織」にはまるで関心がないみたいだ。共選(=農協)の再興のためには彼らが立ち上がるしかないのは自明のことだ。どうかここらで何としても踏ん張ってほしい。
 共同=協同という視点をもたなければ、地域全体の農業をどうするのかという視点もまた得られないのは確かなことだから。


わたしには、範として「西宇和」のイメージがある。内情は知らなくても、八幡浜のフェリー港や「みなっと」から見える日の丸地区のみかん園は、荒れていない。全山南向きのこの産地は山のてっぺんまでが光り輝き、日本一の産地であることを誇示している。やはり組織のしっかりしているところは違う、と思わざるをえないのだ。全国的に見てもまちづくりに成功しているところは組織(農協・自治体・生産法人など)が強い。
わたしの友が言うように、荒れていない美しい景観はとても大事だ。それは人々を鼓舞する。

     ※     ※

 ただ、俵津(明浜)は西宇和にはなれない。これは言わなくても百姓なら誰もが分かっていることだろう。

 わたしは以前から、明浜のみかんは、町内の農協(共選)・町・商工会・漁協・青果販売個人業者・無茶々園などのグループや強い販売力を持った独立個人農家などが、一致協力して、それぞれの利点を活かして総力を挙げて売っていくべきだと思ってきた。互いが誹謗中傷合戦をしていては、明浜のようなひなびた所が、活性化などするはずがないと思ってきた。もちろんそれは、あくまでも互いが切磋琢磨しながら競争しあう中での協力でなければ意味がない。どこかに一極集中させれば、明浜では停滞を招く。この総合(協力)は、みかん産業に依拠する俵津運送や明浜運送などの業者も含めての俵津(明浜)のセイフティーネットなのである。
 わたしは、「共選への再結集」を言いながら矛盾していることを言っているのだろうか。そうではない。私が言っているのは、地域農業の「核」である共選がその「核」たる自らの存在を放棄しないで、「核」を再構築してほしいということだ。少なくとも5割を超える生産者をしっかりと繋ぎ止めてほしいということだ。資金力と巨大な優れた施設を持っているところがしっかりしなくてどうする、ということを言いたいのだ。共選の赤字体質を一日も早く脱して、「核」を保持し続けていてもらいたい。

 もうひとつ問題がある。無茶々園のお前が共選のことなどに口出しするな、という声の存在。これについては、昨年亡くなった、将来確実にリーダーとなるだろうと目されていた共選農家のIくんが、「共選のみかん、もう無茶々園に売ってもらうようにしたらいいのになあ」と(冗談だろうが)わたしに言っていたことがあるので、ずいぶん緩和しているのかなとは思う。
 発足時、無茶々園はあくまで農協内の下部の一組織(有機農業部会)であろうとした。意気軒高とした農協(=共選)改革の中核になることを目指したグループであった。それが一元化を迫られて、現在のかたちになった。この手順を踏んだ事実は理解していただきたいと思う。「地域協同組合」をかかげる無茶々園は、その活動を「めぐみの里」「海里」などの福祉事業にまで展開していることを見ていただいて、農業だけでなく地域発展の総合プランを持っている団体だということを理解していただきたいと思う。
 俵津での無茶々園の正会員は6名。無茶々園に出荷している一般の慣行栽培農家(準会員)は何戸だろう、わたしは把握していないが数軒はある。わたしが思ってきたかたちになりつつある現実がはっきりと表れ始めている。別に敵対行為でも何でもない、自然な現実だ。みんなが良くなればいい。みんなが暮らしよくなればいい。みんなが楽になればいい。現実をしっかりと見て、それにあった形を追求しよう。構築しよう。

 個人的な話になるが、わたしが抱えているこんな問題がある。後継者ができたので我が家では今、規模拡大を考えて貸していただく園地をさがしている。すでに何人かの方からご厚意をいただいているが、その園地のほとんどが南予用水の全自動スプリンクラーで防除をしている慣行栽培園で、わたしとしては無茶々園の栽培指針に従いたいのだが、地域の和を乱したくないので、そのままクーラー防除にしている。無茶々園に出荷している慣行栽培農家と同じかたちをとらせてもらっている。将来はなんとかしたいと思っているが、解決策が見つかるまではこのままでいいとおもっている。俵津で規模拡大をめざすには、このかたちを通過せざるをえないだろう。
 それと、意図しているわけではないが、こういう形でやめていく方の農地を継承していくことは、俵津の山の荒廃化を防ぐのに少しは役だっているのではないか。どうか物事を一面的に見ないでいただきたいと思う。

3、荒廃園を、「貸農園」へ

 高知の友人の愁えた、俵津の山(農地)の荒廃を防ぐ方法はあるのか。
 わたしは、上記を踏まえた上での、みかん園の貸農園化を提案したい。

 日本でも有数と思える(!)野福峠からの景観を持つ俵津で、みかん園を所有して余暇を過ごしたい、豊饒の時間を持ちたいという者は、こちらが開発すれば結構出てくるのではないか。海のレジャー(魚釣り・ヨット・シーカヤックなど)と組み合わせれば、休日の「俵津ライフ」はその人たちに豊かな人生を提供できそうだ。

 以下の段取りで進めてはどうか。

俵津湾(法華津湾・宇和海)を見下ろせる大浦・脇地区のみかん園に農道を張り巡らせる(新設)。
  俵津はまだまだ農道が足りない。モノラックよりやはりまず農道だ。
荒廃園や近々耕作をやめたい農家の園を、借り手が借りやすい規模(5アール~10アール)で区画化・
  団地化する。
荒廃園にはみかんの苗木を植え、リタイア希望農家の園は補植する。(品種構成の問題をクリアする必要

あり)。
所々に休憩所(湾を見下ろしながら食事できる小広場)をつくる。(トイレ問題)。
農道沿いや段畑の岸に花を植える(楽しく美しい景観を作る)。
(上述の過程と並行して)借り手の募集をする。西予市(宇和・野村・城川)や宇和島・大洲市あたりが
  中心になるか。もちろん県下全体からでもよい。
  特に、豊かな公務員上がりの人たち(もちろん現役でも)は、地域おこしに貢献したいという意識も高いの
  で、積極的な勧誘対象になるだろう。
「運営」は、どこが担うのか。役場、農協、ヘルパー組合、NPO、有志による運営会社・・・。もっとも
  肝心なところだから、みなさん知恵を貸してください。
「資金」をどうするか。
  ・「基金」を設立
  ・株式会社にして出資を募る
  ・有志の支援
  ・国・県・市の補助事業利用
  ・債権化
  ・ふるさと納税
  ・「文殊菩薩」のお出ましを願う
「波及効果」について思いを巡らす。
「空き家」対策。住宅付きの貸農園(クラインガルテン)というのも魅力だから、俵津の空き家対策と
   して対処する。
海のレジャー業を掘り起こす。湾内の釣り船・日振戸島などへの渡船業、釣り餌販売業など。あくまで
   副業的にしかならないだろうが。
グリーンツーリズム(農家民泊)、ブルーツーリズム(漁家民泊)がうまれるかも。
有名になれば人も来るようになり、借り手が家族や友人たちを連れてくれば、喫茶店や軽食堂も
   やっていけるかもしれない。
貸農園の農作業を代行する仕事も発生するかもしれない。
借り手の方が望めば、収穫したみかんを共選が引き受ける。共選の荷受け量・販売量が増える。
  (あくまでも借り手の自由な農法・販売方法を保証しなければならないが)。


 新しい共選長と新しい共選スタッフが中心となりこの事業を推進すれば(あるいは運営に強力に参加すれば)、少しは希望の持てる「俵津」が立ち上がってくるのではないか。

 時代のトレンドもわたしたちを後押ししてくれるかもしれない。
都会の若者たちの中には、グローバリズムが席券する世界の中でローカルなものの価値に目覚め始めている層がいるという。地方志向・田舎志向は少しづつだが時代の流れになりつつあるという。「農」の価値も深い理解が得られそうな空気があるという。そこに目を向ければ、俵津のポテンシャルはまだまだありそうな気がする。


 以上が、友に対するわたしのとりあえずの返事、報告である。それにしても、友というのは有り難いものである。

2017.1.20 自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)


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