コラム
『俵ランド物語』(たわらんどものがたり)  筆:うつみしこう
                      自由庵憧鶏
                                              じゆうあんしょうけい

Vol.29 『共謀罪』と まちづくり
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 6月15日朝、「共謀罪」法が成立した。参議院法務委員会の審議・採決を省略して本会議でいきなり決着させるという、参院の存在意義を否定し、国会の歴史に重大な汚点を残した自民・公明・維新の強行採決という暴挙によって・・。施行は7月11日からだという。
 この法律は、正式には「改正組織的犯罪防止法」といい、政府は「テロ等準備罪」と言っているが、共謀罪の趣旨を持っているのは明らかで、心ある人たちはこれを「平成の治安維持法」だと呼んでいる。
 犯罪を計画段階から処罰し、市民の心の中を監視し、思想・良心の自由、表現や信教の自由などの基本的人権を侵す憲法違反の法だと多くの人が懸念を表明している。

 この法律の成立を受けて私が最初に頭に思い浮かべたのは、1995年のオウム真理教事件の後、警察(駐在)が新田こせがれ会のロッジを見に来たことがあったということだった。ロッジをオウムのサティアンのように思ってのことだったのだろう。おそらくメンバーの調査も同時にやったことだろう。「共謀罪」法下ではこのようなことが日常化するということだ。地域活性化のために頑張っていたこせがれ会などさえ捜査対象にされるのなら、「一般市民は、対象にならない」ということなどありえないだろう。

 この法律が施行されたら、全国で展開されている「まちづくり」は、やがて、大きな打撃を受けるだろう。(自主的に)集まること、話し合うことが恐ろしくなって、「まちづくり」どころではなくなるからだ。
 地方は今、さまざまな問題に突き当たって・かかえて、しん吟している。疲弊している。困憊している。悩んでいる。悲鳴を上げている。     過疎・少子高齢化・人口減少・格差・貧困・農林漁業の不振・農漁協の衰微・働く人の賃金低下・所得減・介護問題・年金問題・空き家対策・後継者不足・仕事の喪失不在・買い物難民・商店街のシャッター街化・町の空洞化・学校統合・いじめ問題・自殺者対策・保育所不足・特養ホーム不足・税や公共料金の高騰・限界集落・老朽化インフラ整備・原発問題・米軍基地の問題・巨大地震対策・公害・環境破壊・FTA(TPP)・国家予算の配分の問題・・・などなど。それらについて話し合い、対策を練り、行動していく過程で、政府に対する不満や怒りや怨嗟の声をあげることも当然あるだろう。元総務大臣が『地方消滅』などというタイトルの本を書く時代である。追い詰められた地方が窮鼠猫を噛むようなこともおきるかもしれない。それらがすべて取り締まりの対象になってものが言えなくなるとしたら大変な時代になる。そういう時には政府はしっかりと国民に向き合い、「日本国憲法」という共通の最高のルールブックをもとに双方が納得ゆくまで何年でも時間をかけて熟議するべきだと思う。
しかし、「空気」の支配する国である。その前にこの恐怖の法の前では、国民は委縮するだろう。さまざまな言動を自粛していくだろう。そして、地方はますます起き上がれなくなる。

 西予市議会は、この悪法に対して「反対決議」を出すべきだと思う。それをしておくことで四万人の市民を守る意思表示をしておくべきだと思う。全国でそれをしたのは60議会ほどだそうだが、西予市も名誉ある勇気あるその中に加わってほしい。地域の主体的な発展を阻害するこのような法の成立を黙って見逃してはいけないのではないか。西予市議会では議会の開会前に「国歌」を歌おう!という提案があったそうだが、そういうことの前にするべきことがあるはずではないか。

 わたしたちは歴史に学ばなければならない、と思う。たとえば、「治安維持法」のことだ。史上最悪のこの法律は、大正デモクラシーの中で「普通選挙法」と共に生まれた(大正14年・1925年)。はじめは共産党と共産主義者を取り締まるものであったが、二次(昭和3年・1928年)、三次(昭和16年・1941年)と改正されていくなかで全国民が対象となっていった。太平洋戦争末期には、「この戦争負けるかもしれないね」とつぶやいただけで特高(特別高等警察)に検挙されたというようなこともあったと聞く。そして、日本(大日本帝国)は破局を迎えることになるのである。
 ちなみに、ナチスの「全権委任法」も、当時最も民主的だと言われていた「ワイマール憲法」下で成立している(1933年)。憲法は死に、12年後ドイツ(第三帝国)は破局を迎えた。


今回の「共謀罪(テロ等準備罪)法」も、世界一進んだ民主的な憲法だと言われている「日本国憲法」下で成立した。政府は「テロリズム集団とその他の組織的犯罪集団」のみが処罰の対象だと言っているが、277も挙げられている対象犯罪にはそれとは無関係なものが多く含まれ、しかも犯罪成立要件が極めて曖昧・不明確だから捜査機関の恣意的な意図次第で罪をつくられてしまう可能性があるという。国民の側からはこれほど恐ろしいものはないが、国家権力や捜査機関側から見ればこれほどの取り締まりのための万能法はないということになる。この法律に治安維持法のような「改正」は不要なのかもしれないが、政府が必要と判断すれば今後どのようにもそれがなされる流れはできてしまっている。

 なぜ、このような法をつくらねばならないのか。日本を戦争の出来る国にするためだろう。特定秘密保護法、安全保障法制、共謀罪法、そして、「憲法改正」とくれば、もう誰の目にもそれは明らかになっている。自民党の憲法改正草案は、今の憲法の、国民主権・基本的人権・平和主義の三原則を完全に否定して時代を戦前に戻そうとするものだと思う。

わたしは、戦争だけは絶対にしてはならないと思う。戦争に、いい戦争などない。どんな戦争もだめだと思う。わたしは、「俵津遺族会」に入っていたから、戦後72年が経ってもいまだに戦争の傷を引きずっている人がいることを知っている。そこから、沖縄の人や広島・長崎の原爆被災者のことや空襲で罹災した人たち、遠い戦場で爆撃や飢えや病気で亡くなった兵士たちと遺族のことに思いをはせることも少しは学んだ。そこから、韓国や中国や東南アジアの侵略を受けた人たちのことを考えるきっかけももらった。
 だから、少なくともあの戦争を肯定する歴史修正主義に与することはしないし、というより、敗戦をしっかり受けとめ、ポツダム宣言を受諾し、サンフランシスコ講和条約を受け入れた中で戦後をしっかりと歩む日本の国民の一人でありたいと思っている。そして、もう二度と靖国神社の祭神を増やすようなことはしてはならないと思っている。


この国はいま、「失われた20年」とか「平成大不況」とか言われる大きな停滞のなかにある。国民にも1980年代までの元気はない。わたしは、このような時に共謀罪(テロ等準備罪)など愚の骨頂だと思う。こんな時には国民の心を閉じさせることではなく、自由に開き解き放つことが大切だと思う。
 共謀罪法の下では密告や監視が当たり前になると厳しく警告する声も多い。 密告社会、監視社会なんてどう考えても、経済はおろか社会までも発展させることはないだろう。あわせて、そこに生きる人間を成熟させることもないだろう。考えてもみよう。密告などどんなに人間の魂まで傷つけるおぞましいことかと。考えてもみよう。わたしたちの携帯電話(スマホ)、電子メール、ブログ、ホームページ、ライン、ツイッター、フェイスブックなどが常に捜査機関によってチェックされていたらとてものことにたまったものではないだろう。電話・通信が傍受されていたらこれも耐えられないだろう。GPS捜査などされてもたまらないだろう(中国はすでにそういう国になりつつあるようだ)。
 また、「非国民」、「売国奴」などという言葉が飛び交うような国になったらこれも待っているのは、さらなる衰退だ。かつて街頭で若い女性の長い髪を切った愛国婦人会や戦費調達のために国債を売って回った愛国青年団のような組織が生まれる国もいやだ。みんなが同じで、国の指示待ちで行動する大政翼賛会国家になるのも嫌だ。

 他にするべきことがいっぱいあるように思う。首都移転(首都機能分散)、1000兆円を超える国と地方の借金を解消し健全財政をはかること、脱原発(自然エネルギー100%の国づくリ)、保育所の待機児童を無くすこと・・・などなどだ。
 ことを安全保障の問題に絞っても、安全保障は「軍事」だけでは果たせないことはわたしのようなものにでもわかる。私は農家だからまず「食糧」の安全保障(自給)をあげるが、他にも、「資源」・「技術」・「文化」などの安全保障を考えないと国は守れない・独立国家にはなれないと言われている。

 梅雨の晴れ間、俵津の美しい海を見ながらみかんの摘果をしていて、考える。どうしてテロは起きるのか・・・。欧米先進国は、15,6世紀の大航海時代から産業革命期をへて現代まで、世界中の国々を植民地や属国にして、収奪の限りを尽くしてきた。資源を奪いつくし、先住民を追い出し、アフリカ人を奴隷化し、アヘンまで売りつけ、胡椒や綿花・紅茶栽培などのモノカルチャーを押し付け、それらの国々の発展を阻んできた。新自由主義による「グローバリズム」の跳梁はどんなに中東をはじめ世界を傷つけてきたことだろう。そのツケを先進国は、何十年・何百年の時を経て今払わされているのではないか。そうとしか思えない。何百年もの間に溜まりにたまった怨念・憎悪(ルサンチマン)にはわたしたち日本人の想像をはるかに超えるものがあるだろう。
 欧米は、難民や移民を排斥すべきではないのではないのか。それで自国がどんなに貧乏になっても仕方ないのではないか。そんな極端な絶望的なことまで考えなければいけない段階に「世界史」は来ているのではないか。
 いや、日本の明治維新以来の近代も、結局のところ欧米先進国をまねして近代化し大陸に侵略した歴史を持っている。・・・・・

 日本の皆さん、もう働くのやめにしませんか、とわたしはつい呼びかけたくなります。一日7時間も働いたらもう十分ではないですか。アフターファイブは、子供たちと遊んだり、スポーツや趣味の世界に遊んだり、ボランティアをしたり、仲間と酒を飲んだり・・・と、もっともっと遊びましょう。休日には「国民皆農」で農家が作らなくなった田や畑を使って農業やりませんか。蝶ちょとたわむれながら食べるものつくりませんか。足るを知って、あるものだけでやって行きましょう。もう買い替え需要だけでやっていく世界を構想してもいいのではないでしょうか。GDP600兆円を目指すなんて、狂気の沙汰としか思えません。もう成長主義はすてませんか。そうでないとわたしたちは幸福にはなれないような気がしてなりません。一年間に三万人ちかくもの人が自殺する国なんて絶対おかしいです。
 1パーセントの人と99パーセントの人との取り分が一緒の世界なんておかしいですよね。裕福な人たちは、二宮尊徳さんのように「推譲」しませんか。企業も400兆円近くも内部留保をためこんでいるそうですが、社員や社会や世界のために還元しませんか。みんなで仕事やお金などいろいろシェアしながら、もっとゆっくりと自由にのびのびとやっていきませんか。
 「坂の上の雲」をめざす時代は終わったように思います。振り向いて後ろを見れば、そこには緑の広大で豊かな日本の国土があります。一億三千万人を食べさすに十分な沃野があります。海もあります。光も水も風も十分にあります。ここでやって行きましょうよ。
 そうすれば国民に銃や刃を向ける必要などなくなります。「共謀罪」などいらない国になると思います。


闇夜に光芒一閃、「日本国憲法」が浮かび上がっている。その値打ちが史上最高度に達している。国民を守るものは、もうこれしか残っていない。

2017.6.23 自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)


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