コラム
『俵ランド物語』(たわらんどものがたり)  筆:うつみしこう
                      自由庵憧鶏
                                              じゆうあんしょうけい

Vol.32 『選挙』とまちづくり
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 9月28日、衆議院が解散されました。 憲法53条に基ずく野党の臨時国会召集要求を三か月も無視・放置し続け、やっと開いたかと思ったらいきなりの冒頭解散。もうこの国に憲法などあってなきがごとし。安倍さんの「自分ファースト・自分のため解散」ですね。何とも、いやはや、です。
 なんか、安倍さん、ガキ大将みたいですな。あの「ドラえもん」のジャイアンみたいな(こう言うとジャイアンに失礼かも)。非常にわかりやすくはありますが。森友・加計学園問題隠し。野党の弱体化を見ての「今なら勝てる」解散。北朝鮮の脅威を煽って改憲に持ち込もうとする意図。自らの総裁=首相の続投体制のリセット・盤石化をはかる・・・。国民にはすべてが見え見え。それでも日本は、結局この人とこの人の政党をを選ぶような気がします。「驕る平家は久しからず」でしたが、地方では自由民主党は「永遠」ですから(「読売ジャイアンツ」は、ちょっと生気がありませんが)。そして得票率25パーセントで政権がとれる小選挙区制度がありますから。

 600億円以上かかるという選費用がもったいないような気がしてなりません。これだけあれば保育所の待機児童問題などは簡単に解決できるような気がします。政権の暴走を止める一刻も早いチャンスを国民が手にする、という意味では(任期途中の)解散はいいと思います。わたしなども田中恒利さんが落選して8年もの長きにわたって苦労されていた時には、一日も早い解散を願っていたこともありましたが、国会議員が政局ばかりに目をやって、まともな立法府を作ろうとしない現状を見ると、任期の4年間しっかり集中してほしいな、という思いのほうが最近強くなりました。ヨーロッパのほうでは、政権の恣意で(勝手に)解散できないようにしようという動きが出ているようですが。

1、

 さて、総選挙です。「投票」しなければなりません。
わたしの今回のテーマは、田舎、そして地方は、〝投票先〟を変える必要がある時代になったのではないか、ということです。最初に言っておきますが、わたしは無党派です。どこの政党とも一切関係ありません。ただ、選挙権を得た二十歳の時と、田中恒利先生の初出馬が重なっておりましたので、以来社会党に投票しておりましたがここ十数年はそんなこともありません。わたしの関心はあくまで「まちづくり」にとって、どうするのがこれからの最良策なのか、の一点です。
戦後のほとんどの時期、この国は、自民党政権でした。一時、細川政権や民主党政権がありましたが、それは国民が、弛緩した自民党政権に「お灸をすえた」程度のことだったのではないか。自由民主党は根っこでは盤石でした。これからもいまのままだったら、おそらくそうでしょう。それで果たしていいのか、という課題をわたしたちは現在突き付けられているのではないでしょうか。

わたしたちは、田舎は、地方は、自民党(議員)に投票し続けてきました。それは正しいことかどうかはわかりませんが、ある意味当然の投票行動でしたでしょう。皮肉やいやみに聞こえるかもしれませんが、誰でも政権にすり寄らなければ利益にあずかれない。予算がもらえない。うまい汁が吸えない。しかるべきポストがもらえない。勝ち組になれない。・・・と考えるのは普通のことです。カネと権力と情報を持つものが何時の時代でも最も強い。「ひとは利で動く」とかの韓非子さんも言っておりますとうりです。地方自治体の長も議員も住民も自分と地域の発展を願ってそうしてきました(面従腹背の人はいたかもしれませんが)。そうして豊かにはなってきたのです。
これまではそれで良しとしましょう。さて、これからです。

2、

さまざまな問題を抱える地方の現状の羅列はもういいでしょう。みんな分かっていますから。
今、あの田中角栄さんが密かなブームです。国や都市の儲けをどんどん地方に分配してくれた剛腕の彼への懐かしさがそうさせるのでしょう。「夢よもう一度」、と。
でも、そういう時代は決してやってこない。「アベノミクス」が何百本の矢を放とうが、来ない。
1992年のバブルの崩壊以来、この国はずっと「不況」です。これだけ長くなるとこれはもうこれまでの景気循環とは違う、時代の、歴史の、局面にわたしたちは立ち会わされているのではないかと、ごくごく平凡な百姓のわたしなどでも思うようになってきました。成長率ゼロ、利潤率ゼロ、金利ゼロ、そしてゼロインフレ・・・。これはもう資本主義の終わりだという学者まで現れてきました。実体経済の分野では儲け先はもうないから、世界にフロンティアはもうないから、企業は、従業員の当然分配すべき賃金を奪う(上げない、下げる)、非正規雇用(非正社員化)をやる、残業時間に手当を出さず長時間働かせる。下請けに無理強いする。非実体経済の電子・金融空間にしか儲け先はないからとナノ秒単位の株取引に狂奔する。国の予算にたかる。国家への依存度(要求)を高める。・・・
政府(政権)は、これに速やかに応える。国債発行を増やして100兆円規模の予算をつくる。異次元の金融の量的緩和をする。トリクルダウンが起きるからと大企業優先策をとる。東京オリンピックを誘致し、カジノ・武器産業等の振興を図る。原発を再稼働する。「お友達」には手厚い配分をする。地方全体の維持発展は極めて効率が悪いからと「コンパクトシティ」化を推進する。国民の財産(年金・日銀・国家公務員共済・ゆうちょ銀行・かんぽ生命などの資金)を使って、「官製相場」で株価を吊り上げ、円安にし、好景気を演出する。「マイナンバー制度」を使って全国民から漏らさず税金や社会保障料を徴収しようとする。消費税を上げて利益誘導策の財源にしようとする。TPP(環太平洋連携協定)路線を推し進め、農業を崩壊させ、農協を解体し、国民健康保険制度を破壊し、国民から雇用を奪いさらなる低賃金化をはかろうとする。・・・
キリがないからもうやめますが、この先に待っているわたしたちの未来は、もう誰にも容易に想像できるでしょう。

3、

国鉄を民営化し、その労働組合を解体した中曾根康弘さんあたりからはしりがありましたが、小泉純一郎さんあたりからこの国は目に見える形で急速に悪くなっていきました。そこでとられた政策のもとが「新自由主義」(ネオリベラリズム)という市場原理主義でした。言葉の定義はネットなどで調べていただくとして、その「本質は、資本(多国籍企業と言い換えてもいいかもしれません)にとっての障害を力ずくで破壊し、資本が自由に制約なしに活動できる空間を拓く」ということですから、「世界中のそれまで営まれていた生活圏、生産、流通、消費のエリアなどが壊され」ていきました。政府はそれに手を貸し、公営事業の民営化、規制緩和、資本移動の自由化、福祉の削減、物言う労働組合等の解体、地方自治の破壊等々を矢継ぎ早にやってきたのでした。ここから、「格差社会」など現代のさまざまな問題が極端な形で発生してくるようになったのです。
「新自由主義」は、戦争・テロ・クーデター・大地震や異常気象などによる大災害などすべてを食い物にして肥え太ろうとします。自由主義の元祖のアダム・スミスさんは『国富論』で「神の見えざる手にまかせよ」と言いましたが、同時に『道徳感情論』では「お金持ちがより多くの富を求めるのは〝徳の道〟から堕落する」と言って企業家をいましめているそうです。現代の新自由主義者はそんなことには一向にお構いなしです。
新自由主義の世界展開が「グローバリズム」・「グローバリゼーション」ですが、アメリカの9・11テロなどもここから起こったのでした。
ここからの脱出を考えなければ、わたしたちはどうにも明日を拓けないように思えてなりません。

4、

もう一つあります。「アメリカ」です。1991年にソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が崩壊し、東西冷戦が終わった頃から、アメリカの対日政策が露骨に変わりました。それまでの庇護・援助政策から、日本の富を根こそぎ奪う政策に変わったように思います。
冷戦といいながら実際には朝鮮半島は熱戦地帯であったわけですが、最前線の韓国はアメリカの傀儡軍事政権でしたが、前線基地の日本では「民主主義のデパート」としての政策がとられたのでした。そして日本はその朝鮮戦争やベトナム戦争などの「特需」を背景に戦後復興を果たし、経済繁栄して大国になったのでした。
まるまると肥え太った日本を、ベトナム敗戦した1970年代後半から少しずつ落ち目になっていったアメリカは、収奪の対象にするようになっていきました。かつて「日米貿易戦争(摩擦)」というものがありました。太平洋戦争で負けた日本はこの戦争で勝とうとしたのでしょうか。とにかく凄まじい「洪水のような」「集中豪雨的な」対米輸出攻勢でした。これに対しアメリカは業を煮やし、腹に据えかねたのでしょうか、さまざまな日本叩きを開始し、「構造改革」を迫り、日本市場を「アメリカ化」して行きました。日米繊維摩擦からはじまり、電機・自動車・半導体、オレンジ・果汁・・ありましたねえ。その後、「日米構造協議」があって日本は「ケツの穴までほじくられた」と誰かが言ったようにアメリカの商売に邪魔になるものを徹底的に洗い出されたのでした。「対日年次要望書」段階になるともう協議さえなくなり、「日本よ、こうせよ」と一方的になりました。一時は、石原慎太郎さんが『「NO」と言える日本』を書くなどして日本中が文句をいっておりましたが、最後の段階になると日本はもう唯々諾々と従うばかりになりました。そして、その総仕上げ、究極が「TPP」です。現トランプ政権はそこから離脱しましたが、アメリカの根本姿勢が変わらない以上二国間のFTA(自由貿易協定)でより過酷な条件を押し付けてくるでしょう。何しろ、「日本語」までが「非関税障壁」で日本は英語を国語にせよと要求した国です。

5、

実は、「アメリカの問題」は、もう一つあります。それは、「占領」がまだ終わっていないということです。日本は、1951年のサンフランシスコ講和条約で独立を果たしたことになっておりますが、その時同時に結ばれた「日米安保条約」と「日米行政協定」(現「日米地位協定」)は、現在もこれからも日本を属国化し、縛り続けています、行きます。かつての西欧列強が何百年も植民地を手放さなかったようにです。おいしい属国を宗主国が手放すはずはないというのは世界史の常識かもしれませんが。また、戦争に敗けるということはそういうことかもしれませんが。
しかし、これによってさまざまな歪み・問題が日本国内に起こり続けます。「日本国憲法」が日本の最高法規ではなく、上記「条約」「協定」がその上に君臨し、「日米合同委員会」によって日本の政治が行われていること。そのため、政治家や官僚が国民と真摯に向き合わないこと。沖縄をはじめとする深刻な基地問題が発生し続けていること。外交や隣国との経済問題等の政策選択肢の幅を著しく狭めていること、などなどです。
この状態はいつまで続くのでしょうか。50年、100年・・・。でも、いつかはわたしたちはこのことと真剣に向き合わざるを得ない時が来るように思います。

わたしは、アメリカがきらいじゃありません。ヘミングウエイ、ボブ・ディラン、ジャズ、ハリウッド、ブロードウエイ、自由、民主主義、権力に屈しないマスメディア・・・いいですねえ。でもそれとこれとは違いますね。

6、

問題は、日本自身が、日本の政権自らがさらにアメリカに対し従属化・属国化を推し進めようとしていることです。日本のすべて、何もかもを差し出そうとしていることです。
わたしたち田舎は、地方はこの中で本当に立つ瀬があるのでしょうか。わたしたちは余程考えなくてならないと思います。かつて「一億総中流」と言われた日本から中流が消えた時、この国はどうなっているでしょうか。「景気」、だけを選挙の投票判断基準にしてはいけないと思います。日本の将来を考えれば今は「利」よりも「理」で考える時だと、わたしは思います。

さあ、投票に、行きましょう!

2017.9.30 自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)


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