エッセイ

『私の映画案内』  筆:西田 孝志

 第一回  『さあ、一緒に映画を見ましょう!』


私は今、70才になりますが、退職してからは、好きな映画を毎日楽しんでおります。亡くなった評論家の誰かさんではないですが、「映画って本当にいいですね!」と、同じ思いです。そこで皆さんにある映画の話をします。皆さんが同じ思いを共有されるか、分かりませんが、私が感じた事をお伝えしようと思います。
 その映画は、マッド・デイモンが主演した「グッド・ウィル・ハンティング / 旅立ち」という映画です。主演マッド・デイモン、共演ベン・アフレック、助演にロビン・ウィリアムスが出演した映画で、ご覧になった方も多いと思います。この映画の中で私が特に気になった場面があります。気になるというよりも心に残った場面です。
 それは何の変哲もないビルの非常階段の上で二人の学者が話す場面です。一人はノーベル賞級の数学者、一人は心理学者です。心理学者が言います。「実は僕は毎週宝クジを1枚、買い続けてるんだ」、数学者は答えます。嘲りを含んだ調子で。
 「君ね、宝クジの当たる確率なんて、僕と君が立ってる、この階段に今カミナリが落ちて死ぬのと同じくらいの確率なんだよ!」
 数学者の言葉に心理学者はニコッと笑って答えます。
 「でもねえ、誰か一人は当たるんだよ」
 ただこれだけの会話です。驚きました。この二人の言葉には二つの人生観が表されているのです。気づきましたか?
 数学者は、人は確率で人生を決めている、と言っています。つまり分の悪い方は選ばない、原因論とでも言いましょうか、確率の悪い物には手を出さない、という生き方です。
 他方、心理学者は結果論です。人間は選択の結果によって生きている。良い選択、悪い選択であっても、その結果を受け入れる事によって人生を生きている、と言っているのです。
 分かります?どちらの見方が正しい、とかいう話ではありません。人生をどう捉えるかは映画を見たあなた自身の問題なんです。
 最後に私がなぜ、こんな話を書いたかと言うと、この映画を見て、スイスの心理学者・アドラーの言葉を思い出したからです。こんな言葉だったと思います。
 「自分のおかれた状況に苦しみ、抜け出したいと思いながら、抜け出せない人は、その状況を作り出し、そこから抜け出せなくしているのは、実は自分自身なのだと言う事を知らなければならない」。
 この言葉を、今、何かを変えたい、何とかしたい、と思っている皆さんへ送ります。
 それではゴキゲンヨウ。ゴキゲンヨウ。またの機会にお話ししましょう。



《編集者付記》
今回から西田孝志さんにエッセイを連載していただくことになりました。西田さんは、わたしの小・中学校からの同級生で、大阪に住んでおられますが、「俵津の事を忘れた事は一日もありません。私も(みなさんと)同じように故郷を盛り上げたいと思っています」というほどの熱烈な俵津ファンです。俵津への思いを込めながらの映画エッセイ、これからが楽しみです。

(文責・宇都宮氏康。 2018/1/1記)



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