エッセイ

『私の映画案内』  筆:西田 孝志

 第五回  『恋はデジャ・ブ』



ビル・マーレイという俳優が大好きだ。気難しいのか、空っ惚けているのか?どっちつかずの無表情で繰り出す彼の演技には、笑い以上に、世界への挑発的な軽蔑すら感じる。彼が有名になったのは「ゴースト・バスターズ」(1984年)というホラー・コメディ映画だ。彼はここでピーター・ヴェンクマンという科学者役で出演したが、シガニー・ウィバーを始めとした多彩な共演者や主役の巨大なマシュマロマンさえもすべて喰ってしまうような怪演を演じ、出た場面すべてをさらってしまった。勿論日本でも大ヒットした。彼の最近の映画で有名なのは「ロスト・イン・トランスレイション」(2003年)だ。監督はソフィア・コッポラ。あのコッポラ監督の娘さんだ。共演は当時新人女優だったスカーレット・ヨハンソン。北欧生まれのこの女優さんはこの映画で一躍有名になった。全編、日本で撮影されたこの映画で、彼女はまるで波間に漂う無機質な物体のように、東京や京都の風景を浮遊し、彷徨う姿が美しく叙情的に撮られていた。この映画でビル・マーレイはこれまでと全く違う役柄を演じた。ウィスキーのCM撮影の為に来日した、落ち目のアメリカ人俳優の役だ。ここで彼は人生に疲れ、少し投げやりで自嘲的だが、内省的な中年男を演じた。彼はこの演技で、ゴールデン・グローブ賞、カンヌ映画祭の各男優賞を受賞。映画もアカデミー賞脚本賞を受賞した。

 そんな彼の映画の中で、私が一番好きな映画が「恋はデジャ・ブ」(1993年)だ。デジャ・ブとは日本語で既視感と言う。一度も経験した事がないのに、どこかですでに経験した事があるかの様に感じられる事を言うのだ。この映画はロマンチックコメディ、いわゆるロマ・コメだ。だが大変変わったストーリーになっている。内容はこうだ。変わり者で、気難しく、傲慢なところもある気象予報士のビル・マーレイは、女性プロデューサーと、男性カメラマンの3名で、ある田舎町へ向かいとんでもない体験をする。一日目の仕事が終わり、翌日、ホテルの部屋で目覚めた彼は前日の朝に逆戻りしている事に気づくのだ。翌日も、又次の日も目覚めると同じ日の同じ朝に戻ってしまう。しかも不思議な事に彼はそれを覚えているのに彼以外は誰も、そのことを知らない。最初は驚き、とまどった彼も、徐々に受け入れ、ふてぶてしさを取り戻し、気になっていた女性プロデューサーを口説きにかかる。事は簡単だ。彼女が好む男性像を聞き出し、翌日、その通りに振る舞えばいいのだから。しかし何故かうまくいかない。ベットイン手前まではいけるのだが、最後の一線が越えられない。なにかがまるでジェリコの壁のように立ちはだかるのだ。ついに絶望した彼は、ビルの屋上から身を投げてしまう。しかし、目覚める。又も、同じ日の同じ朝・・・・。

 彼がどのような方法で望みを達し、その状況を抜けだせたのか?ぜひこの映画を見て欲しい。私は見終わった後、ある種の感慨を覚えた。この映画で繰り返される、同じ日常は、私の日常とどれだけ違うのだろう?私はサラリーマン時代を思い返した。毎朝、定時に起き、同じ朝食を食べ、同じ列車に乗り、同じ会社の同じ席で変わらぬ仕事をする。顔見知りは多いが、言葉は交わさない。映画と違うのは日時が過ぎる事だけ。人はどんな人生でも選択できるのに同じ毎日を受け入れてしまう。10年も20年も。その間、他人を優しさや、いたわりや愛情を持って見る事をせず、不信や、猜疑心、嫉妬、敵意を持って見つめていなかっただろうか?口もきかず、心を閉ざし、人間を風景のように見過ごしてはいなかっただろうか?人間は人生を選べる?最悪、映画のように自殺さえも!今一度、アドラーの言葉を思い出して見る。「状況を作り出し、そこから抜けだせなくしているのは、君自身なのだ」。もしかしたら、この映画はあなたの心の鎖を取り除く為の少しばかりのお手伝いをしてくれるかも知れません。ぜひ見て下さい。

 余談。ある天気の良い日に、京都へ、モネとルノアールを見に行ったんです。その帰り、時間が有ったので、平安神宮の神泉苑へ行き、有名な池の横の茶屋で一人、お汁粉を喰ってました。そしたら可愛いいイギリス人の女の子が、「写真撮って下さい」と声をかけてきたので、二つ返事で撮ってあげた。その後、「君と同じ場所でスカーレット・ヨハンソンが映画撮ったよ」と、カタコトの英語で言ったら、「知ってる。だから同じ場所で写真撮ってもらったの」って言われちゃいました。それだけの話なんだけどね。ゴキゲンヨウ、ゴキゲンヨウ。




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