コラム
『俵ランド物語』(たわらんどものがたり) 筆:うつみしこう
自由庵憧鶏
じゆうあんしょうけい
Vol.35 『2017・雑感』
-Occasional impression 2017-
伊予柑の収穫が終わった。年内に終えることが出来てほっとしている。今年は11月の中ほどから例年と違った寒さがやってきて、その上に、連日の悪天候で収穫が南柑20号から遅れていた。年明けには寒波がやって来るとの報もあり、気が急いていたのだ。無茶々園のファーマーズユニオンのつわもの達が手伝いに来てくれたのが大きかった。ありがたいことである。
それにしても、一年の何と早いこと。「光陰矢の如し」とはよく言ったものだ(今の時代は〝矢〟より早いかもしれない)。明日はもう2018年の元旦である。気ぜわしくて、なかなかこころの余裕を持てないが、思いつくままに、今年を振り返ってみよう。
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10月22日。総選挙、投開票日。(悲しい憂い顔の老人者の)予想どうり、自民党の圧勝だった。途方に暮れた。・・・
相も変らぬ、何十年前と同じ選挙の光景がそこにあった。日本に農業はいらない、地方も国家経営上効率がわるい所はいらない、と言っている政府の与党とその候補に喜々として従い、地域住民動員の先導をしている市会議員をはじめとした地方の有力者たち。成り行きと慣習でのこのことついてゆく住民たち。・・・
この国の現状の中で、わたしはそう多くを求めているわけではない。たとえば「共謀罪」法案のような国民生活に極めて重大な影響を及ぼす法案が国会に提出された時、数の力で強行採決されてしまうのではなく、熟議の上にも熟議が重ねられていくというような与野党の比率が欲しいのだ。そんな理由で愚かにもわたしは、ほんの一瞬ではあるが、民進党と希望の党の合同にかすかな〝希望〟を見ていた。かつてあった日本国民の絶妙のバランス感覚は、失われてしまった。決められない政治はそんなに悪いことではないのではないか。いや、それこそが民主主義なのではないか。わたしたち国民の成熟なのではないか。
わたしはなぜか今、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い浮かべている。お釈迦様の垂らした天上から極楽へと続く一本の蜘蛛の糸に、わたしたちは群がりぶらさがっているのではないか。ぶら下がろうとしているのではないか。
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12月13日、広島高裁で、伊方原発運転差し止め判決が出た。今年最大の朗報だ。記念すべき〝事件〟だから、新聞(「毎日」)の記事を写しておこう。
「四国電力伊方原発3号機(愛媛県伊方町)の運転差し止めを広島、愛媛両県の住民が求めた仮処分申請の即時抗告審で、広島高裁(野々上友之裁判長)は13日、申し立てを却下した今年3月の広島地裁の判断を取り消し、四電に運転差し止めを命じる決定を出した。野々上裁判長は「阿蘇山(熊本県)の噴火で火砕流が原発敷地に到達する可能性が十分小さいと評価できない」などとし、火山災害による重大事故のリスクを指摘した。高裁レベルの差し止め判断は初めて。差し止め期限は来年9月末まで。仮処分はただちに効力が生じ、今後の司法手続きで決定が覆らない限り運転できない。」
届いたばかりの、わたしが畏敬してやまない玉井葵さんの『ぐうたら通信』(Ⅴ、№207/2018・01・01)にもこのことに関する感想が述べられているので、それも記載させていただく。
「四国電力伊方原子力発電所の3号機の運転差し止めの仮処分決定には、ちょっと驚きました。地裁ではなく高裁が、お国に都合の悪い結論を出すとはねえ、と。
私自身は、差し止めには異論はありません。驚いたのは、その理由が阿蘇山の大噴火が起きたときに発生するかも知れない大火砕流だと言うことです。「9万年前の大噴火」を検証材料としています。確かにそうなのでしょうが、なんとも迂遠です。そんなこと言わないまでも、われわれは東日本大震災による原発事故で、原発の危険性は十分知っているはずです。
それにもかかわらず、9万年前の大噴火を引っ張り出してこなければならなかったのは、原子力規制委員会の新規制基準では、運転停止の結論に到達できなかったからでしょう。新規制基準をみたしているから停止できないという論理。逆に言えば、規制委員会の基準が原発運転のお墨付きになっているということでしょう。「規制」とは名ばかりだということです。
四国電力の異議や、別の訴訟での結論など、幾つかの要因があって、決定がいつまで維持されるかは何とも言えないところですが、画期的な判断であったことは事実です。」
100パーセント納得、同感。愛媛新聞の元記者だった玉井さんの批評眼、指南力にはいつもうならされているわたしだ。愛媛にこのような人がいるだけで愛媛を嫌いにならずにいられる。
どうにもむなしいことだが、それでも、四国電力や国に言いたい。「原発、もうやめませんか」と。原発をやめて、再生可能エネルギーいっぽんでいくという方針を決定すれば、イノベーションが起こる。世界中から叡智が集まる。日本は世界有数のエネルギー資源大国になる。石油をめぐる争いからも距離をとれる。軍事大国化を目指さなくてもよくなる。「日米原子力協定」からも自由になる。何より人間が〝被曝労働者があっていい〟という根源的差別心から解放される。テーマや目標が与えられれば、日本人はそこに向かって猛烈に邁進し、目的を達成する民族だ。明治以来、そうしてきた。それではエネルギーが足りない、日本がやって行けない、と言うかもしれないが、あるだけのエネルギーでやっていける国にすればいいのだ。四国電力さん、四国を「詩国」に、そして「志国」にしませんか。
わたしは、「伊方町」の人たちにも本当は言いたい(言っていいのかどうかはわからないが)。これを機にもう一度考え直しませんか。伊方町を、もう一度やり直しませんか。自分たちのまちづくりの構想力を最大に開きませんか。ひとの心まで一企業に支配されるなんて面白くないんじゃないでしょうか。同じ南予人、もう少し、のんびり・ゆったりの博愛に満ちたくに(郷土)づくりをやりませんか。
冬の天気予報で関門海峡から流れ込む雪の筋雲が佐田岬半島を縦断して南予にまで線を引いている図を見ながら、原発から25キロ地点の民であるわたしは、そんなことを思った。
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東宇和農協の新組合長に、俵津の中村吉年くん(64)が就任した。前任者が病気で辞任し、副組合長であった彼が昇格したということだそうだ。残任期間を務めるということらしいが、続けてやっていただきたいものだ。いずれにしても、これは俵津にとってはかつてない快事だ。
みかん(柑橘)の単作地帯の明浜町の人間が、あらゆる農産物が作られている東宇和で、農協組合長をやるというのは、想像以上に大変なことだと思う。また、前回見たような農協組織に風当たりの強い農政と農民の目というものもある。
しかしながら、標高差1400メートルもある東宇和地帯は、逆に見れば可能性の宝庫であると言えなくもない。
ぜひ彼には頑張っていただきたいものだ。
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9月。新田こせがれ会の解散会をやった(「故郷」)。過ぎる年月のせいでみんなのシワが幾分か増え、仲間が二人(宇都宮繁臣くん、佐藤勇くん)も旅立ってしまって、熱気の発散量は少なめになっているとはいえ、やっぱりこのメンバーは俵津のダイナモだ。出力は少しだけは落ちているが。
いろいろと変化はある。わたしのように無茶々園を選んだものがいれば、共選を離れたものもいる。頑固に共選一辺倒を貫いている者もいる。共選のルールの範囲内で市場出荷やネット販売を試みている者もいる。それぞれがそれぞれの道を、しっかりと自信をもって歩んでいることだけは間違いがない。
久しぶりに、うまい酒が飲めた。希望を語れば、この中から、次期の「市会議員」が出て欲しい、と思う。
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人がよく死ぬ。平均寿命を超えた人たちが死んでゆくのは、ある程度仕方ない。しかし、若い人たちが死んでゆくのは辛い。とくに、わたしと年齢が近い百姓仲間が一人また一人と去っていくのは、とても悲しい。
今年も三人の仲間が逝った。矢内孝志さん(タカちゃん)、三好一正さん(カンマちゃん)、宇都宮英利さん(ヒデさん)。
タカちゃんは、日鉄(高山石灰工場)労働組合の闘士だった。閉山後はみかんつくりをやり、同志会で一緒だった。ある夏、同志会のメンバーで一日嘉島で遊んだことがあったが、その時海に潜って、みごとなイシダイを仕留めて、わたしたちに振舞ってくれた。その味は今でも忘れられない。タカちゃんはまた、わたしが無茶々園を選んだ時にも、残念そうに「行くな」と言ってくれた人だった。
カンマちゃんは、理非曲直の分かる人だった。同志会や青果部、農協の総会などでは必ず発言し、問題点を質し、提言をする人だった。カンマちゃんのみかん園の一部は、わが家族が作らせてもらっている大事な園だ。
ヒデさんは、観察力の鋭いネーブルづくりの名人だった。また、マツタケとりのプロフェッショナルでもあった。一緒に連れて行ってもらったこともあったが、その時、忍者みたいに人差し指を唾液で濡らし、おもむろにすっと伸ばして、風の方向を確かめた茶目っ気たっぷりの姿が懐かしい。話のとても面白い人だった。
残されたわたしたちは今、厳粛な気持ちでいる。次は自分かも知れない、やっておかねばならないことは早く整理をつけなければ・・・などとみんな考え始めている。
ついでだが(個人的なことで申し訳ないが)、今年は、わが家系でも妻の叔母が逝き、叔父が逝き、妹が逝った。
ともだちが葉書をくれた。
「いつまでも、妹さんを思い続けてください。思い続けることが、いちばんの供養です」。
来年は、どんな年になるだろう。いい年になるといいのだが。
2017.12.31 自由庵憧鶏(じゆうあんしょうけい)
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