エッセイ

『私の映画案内』  筆:西田 孝志

 第七回  『映画の中の音楽』(第二章 冬のソナタ)



 皆さん、こんにちは!先日久し振りに故郷俵津に帰り旧友に再会しました。はっきりいって大半の方の顔は覚えていません。とても戸惑いましたが、二、三の方からエッセイ読んでるよといわれ有難いご意見もいただきました。とても有意義で嬉しい意見でした。読んでくれて有難うと、新めてお礼を申しのべます。

 さて、表題ですが「冬のソナタ」ご存じですよね。2000年代前半NHKで放送され一大韓流ブームを巻起したあの「冬ソナ」です。当時の金大中大統領の新しい産業を興せ、の指示のもと映像やメディア産業に力を注いだ韓国が産んだメロドラマの傑作です。ロマンチックな影像美の中にサスペンス風の味付けもあり良いドラマでした。でも、ちょっと待って下さい。なぜ「ソナタ」なの?と考えたことない?ソナタって何?音楽の用語じゃないかな?ヴェートベンのピアノ・ソナタとかあるしね。大方の人はこのくらいまでは分かりますよね。その通りで、クラッシック音楽の中にソナタ形式というのがあるんです。バロック音楽の後半頃から(バッハやヘンデル)ウィーン古典派(ヴェートベン・モーツァルト)に掛けて栄えた音楽形式なんです。なぜこれが映画の題名につくのと考えませんか?実はほとんどのロマコメやメロドラマ映画はこのソナタ形式で描かれている、と
いってもいいくらいなんですよ。いや元々複雑で劇的な、男女関係の様を音楽に取り入れたのが、ソナタ形式なんじゃないかな、と私は思ってます。

ソナタ形式を簡単に説明しますとこうです。まず、提示部があり、展開部、再現部、結尾部、と四つの部分からなっています。冒頭、提示部に一つのメロディーが流れます。主題ともいい曲全体の中心となる調なので主調ともいいます。「運命」のダダダダーンがこれです。実はこれ男性と思えばいいの、次に第二主題が流れて来ます。主調とは異なる調子で性格も違います。これがいわば女性なんです。第一と第二の主題は最初互いに独立して奏でられますがやがて出会い(ボーイ・ミーツ・ガールですね)、主調に添って交じりあいます。次に展開部です。出会った二人は最初順潮に見えます。でも男女の仲波乱はつきもの、嫉妬に恋の鞘当てうまく行きそうでいかない、焦れったい展開が続きます。これが展開部なのですよ。しかし、遂に二人は決心します。互いに離れられない存在だと悟り、愛を打明けます。目出たくゴールイン、晴れて新居へ(つまり主調へ)落ちつきます。これが再現部な訳なんです。そして最後の結尾部で男性(つまり第一主題、主調)の賢明な選択を讃え、高らかに主調が奏でられ、万事目出たし目出たしで終わる訳なのです。

分かります?勿論ヴェートベンやモーツァルトはそう単純じゃありません。展開部をうーんと長くしたり、ダダダダーンの主調だけで、第二主題らしきものが分かりにくいものとか色々あります。でも原点は男女関係なんだと私は思います。じゃあなぜそんなものを音楽に?と思いますよね。バロックの音楽はいわばBGMだと言った、評論家がいます。王様がお茶する時に流し、教会でミサに参列するときに流し、舞踏会で流される。聞き手は王様や一握りの貴族だけ。だからBGM、「四季」を聴くとその情景が浮かんで来ますね、あれがバロックです。でも、ウィーン古典派の時代になると、公開演奏会が開かれるようになり(今でいうコンサート)、庶民も、いわゆるおっちゃん、おばちゃんも音楽を聴くようになります。彼らは風の音や、雨の音、日光の暖かさなどでは満足しません。複雑で劇的でロマンを感じるようでないと聴衆を引きつけられなくなったのです。だからヴェートベン、人生とは何か、生きるとは何か、運命に抗い、なお生き続ける人間の魂を支える音楽だったのです。だからソナタ形式だったのですよ。お分かりいただけましたか。
それでは又の機会にゴキゲンヨウ。








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